火曜日。
今日も雨降らず。
もう7月だし、このまま梅雨が明けるのでせうか。
どうでも良い案件ですが。
他に書くこともないしね。
明日は定休日ですが、外出予定はなし。
行きたい処をあえていえば、いま使っているパソコンやDTM機材の原資になったテレキャスター、それを叩き売った楽器店くらいかな。
中古楽器専門のお店で、沈みゆく船の如くの楽器路面店のなかでは頑張っているお店です。
他との違いはスタッフの商品知識。
楽器の商いは利幅が大きいものではないようで、むかしからいまに至るまで、大手であっても店員さんの入れ替わりが頻繁に起きています。
昨今流行の非正規雇用というやつで、売り物に対する基本的な知識が欠けていること多し。
閑話休題。
14歳のときに初めてのギターを買ったのお店は御茶ノ水の黒澤楽器店でしたが、ちゃんとしたメーカーのものではなく、黒澤楽器ストアブランドの「白馬」というモデルでした。
8000円でしたな。
いま考えると酷いものでした。
指板と弦の距離が離れすぎていて、ハイポジションはおろか1フレットセーハのFもままならないギターでした。
Fコードは諦めて代わりにDmを充てて弾いていました。
当時、音楽的知識は皆無でしたが、後年、FとDmは親戚同士ということを知り、なぜFのところにDmを充てることが出来たのかは不明です。
2本目は小田急デパートの楽器売り場で買った「プロマーチン」という怪しげなメーカーのもの。
これも良い楽器とはいえませんでした。
値段は忘れています。
いまと違って、ギターは店員さんの許可がなくても触れる時代でした。
廉価なギターはそういう陳列のされ方で売られていました。
それにもすぐに飽きて、バイト稼ぎやお年玉をかき集めて御茶ノ水の下倉楽器にて買ったグレコが初めてのまともに弾けて鳴るギターでした。
グレコのアコギ。
珍しいっすね。
当時、母親が近所の盲の少女に英語を教えていて、弾かなくなっていたプロマーチンは彼女に弾いてもらうことになりました。
そのことを、いま突然思い出しましたな。
グレコを飽きずに弾きました。
ギター演奏の基本的なことは、あのグレコで身に着けました。
Fコードも楽に押さえられたし「天国への階段」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」「スカボロー・フェア」などはあのグレコでものにしました。
当時から指弾き派で、理由は単純。
ピックでガッツリ弾くと、親から「うるさいからやめれ」といわれるからでした。
偏執的な気質があるおれは、2時間でも3時間でもフラットピックでガッツリと延々弾いていたのでした。
「やめれ」といわれて当然っすね。
さて、ネタなしで書き始めましたが1000文字を超えました。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
喜納昌吉&チャンプルーズ 熊本城ライブ 『 花 』。