木曜日。
今日は「もしかして」とうすぼんやり感じていることについて。
パソコンやスマホが流通して、それ以前より情報の量がぐんと増え、むかしにかすっただけでそれっきりになっている事案も、ネット検索やYou Tubeで再確認が出来る世の中になったのにしていないという話。
小僧のころ、マイルス・デイビスとかジョン・コルトレーンを聴いて「わかんねー」となり、いまはYou Tubeですぐに聴ける環境にあってもにそうしなかったり。
初読みで掴まれなかった小説家、高橋源一郎とか古井由吉とかも、ググってみるくらいはしても良いのにしていなかったり。
ジョイス『ユリシーズ』やプルースト『失われた時を求めて』も冒頭から10ページくらいで挫折してそのままだったり。
あー、権威に弱いところがあるおれは古井由吉を読もうとしたことが数回あります。
でも掴まれなかったなー。
3行で済むことを10行書いている気がしたのですな。
前衛的な音楽も、13歳くらいで聴いたジョン・レノンのシングルレコードB面、ヨーコ・オノ体験が良くない意味で強烈で、フランク・ザッパもジョン・ケージも聴かないで来たし、プログレ系もギターがブルースタッチのピンク・フロイド以外は聴かなかったし。
テクノとかパンク、ニューウェイブ、オルタナティブなんちゃらもメタル系もヴィジュアル系も、カーラジオなどから聴こえてきても耳を傾けることはありませんでした。
「いまなら新たな発見があるかも」とは思っているのですが、思っているだけで行動しないということは、それがおれのキャパシティということかもしれません。
いや、そうなのでせう。
いつまでも「もしかして」などと引っ張るのは止めにします。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
ブラインド・ゲイリー・デイヴィス『 I Heard the Angels Singing 』。
小僧の頃から憧れていたギブソンJ-200の音色はこんなにショボいのかとがっかりしたのは30年くらいまえでしたな。
いま聴くと普通に「ギブソンだなー」と感じます。