水曜日。
本来であれば定休日ですが、ずっと連休ばかりだったので「休日」には飽きました。
宅飲みも止めたし、帰宅して夕ご飯の支度をちゃちゃっとしてバクバク食べてYou Tubeを見ています。
これまでは音楽系や魚釣り系ばかりでしたが、最近は「言論人」的なひとの動画を見ることがあります。
サイコパスを自認するオタク王の動画は見始めると最後まで見ることが多いっすね。
情報の収集、解析、処理、の能力に優れているように思います。
先見性もあるような。
ジブリアニメの詳細解説(もののけ姫)は2時間超の長いものでしたが、最後まで飽きることがありませんでした。
他のジブリ作品にも長尺の解説動画があるようです。
彼の動画を見ながら想い浮かんだのは「文芸評論家」のひとたちのこと。
おれは、あのひとたちを「作家になりたかったけれどなり切れずにいる状態」にあると思っていました。
文庫本の巻末で著作者をヨイショしながらどこかの学校で「文学!」を教えているひとたち。
そういう認識でしたから、小林秀雄とか江藤淳のネームバリューというかステイタスのようなものに、なんでやねん! と。
オタキング動画のアクセスは多く、またジブリのお偉いさんでプロデューサーでもあるひとから文句をいわれることもあるらしい。
それは即ち解釈に独自性と創造性があり、少なくないひとがその「解釈」を面白いと感じるからでせう。
おれもそのひとり。
ところで、中学だったか高校だったか忘れていますが、国語の教科書に小林秀雄『モオツァルト』が載っていました。
内容はまるで憶えていませんが、オタキングのように独自の解釈で書かれているのかもしれませんね。
というか、そうなのでせう。
少なくないひとが読んで面白いものなのでせう。
などとあっさり転向しますが、大きな疑問がひとつ横たわります。
芥川賞の選考委員はなぜ全員が小説家なの? と。
ちょっとカジッている者(おれとか)は三島賞や野間新人賞は芥川賞と同等に思えるのですが、選考委員は皆作家。
以前は批評家の選者もいたようですが、いまググってみると全員が作家。
文芸批評家がオタキングばりに読むならば、作家より批評家の方がその仕事に相応しいと思うのですが。
直木賞や周五郎賞に言及しないのは、エンタメ系をよく知らないからです。
まー、純文とエンタメを分けているのはこの国だけだそうですが、それを後からいわれても知ったこっちゃないわけです。
でもサマセット・モームが日本人であったならば、最強の直木賞作家かも、とは思います。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
山崎まさよしがエルトン・ジョン『ユア・ソング』をカバーしています。
ビンテージギブソンが良い音色で奏でられています。