火曜日。
朝、部屋を出て駅まで歩くと、おや? 涼しいのか? と感じました。
空を見上げると、夏っぽくなかった。
もくもくの入道雲ではなかった。
夏の雲より高い位置に浮いてました。
さて、これまではYou Tubeで、音楽系、魚釣り系、を主に見ていましたが、文学・文芸についての動画もあることに気づきました。
これを書き始めるまでそういう動画を見ていたのですが、活字を眼で追うより耳に入ってくる情報を聴く方が楽っすね。
活字を読むのに使うエネルギーは、似た情報を耳で聴くよりずっと大きいのでせうね。
30年くらいまえに、クルマを運転しながら宮沢賢治の詩や童話の朗読カセットテープを聴いていたことがありますが、それ以外に「朗読」を聴いた記憶がないのは、それが受動的な行為で、クルマを運転しながらでも可能な程度の集中力しか要さなかったからでせう。
つまりは上の空だったのでせう。
聴くまえから知っている作でもあったし。
ところで、音楽を聴きながら本を読む、というひとが少なからずいますが、おれの場合、好みの音楽ならそっちに気持ちが向いて活字を目で追うことがおろそかにになるゆえしません。
でも、ここの更新はYou Tubeの音楽を流しながらのことも。
読むより書く方が更にエネルギーが要ると思うのですが、いつの間にそういうふうになっています。
まー、ここで書くことは他愛のないことだからでせうね。
今年は、ほぼ10年ぶりに小説を書いていますが、その際には音楽を聴くことはありません。
おや? 小説の文を書くことが「他愛」あるようなものいいですが、そうではなく、集中力を分散させない工夫をしている、という意味です。
しかし、6月に季刊文芸誌夏号のための「花火」のお題で書き、8月に秋号のために「記念日」のお題で書いたことになり、それは奇妙な体験だった気がします。
2ちゃんねるの創作文芸板に良い書き手が多くいた時期は、掲示板と連動する投稿サイトを利用して頻繁に自主コンペが開催され、その全部には付き合いきれませんでしたが、可能な限り参加し、けっこう消耗しましたな。
小説を書くこと=消耗、でした。
次のコンペまでの時間が短いと、瞬発力のある書き手が有利でしたね。
それは職業作家の属性と被る気がします。
知る限り、純文系の文学賞を受けた者やライトノベルで売れっ子になった者、文芸批評家になった者、つい最近、地方文学賞を受け、雑誌文學界にその作が載った者がいますが、彼らは例外なく多作でボリューミーなものもこなしていました。
さて、1000文字に達したようなので、ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
山本潤子『冷たい雨』。
弾き語っています。
良いストローク感のギター。