木曜日。
作業所は朝イチから昼休みを挟んで13時半くらいまで、いつもとちがう急ぎの仕事をしました。
それから夕方まではいつもの仕事。
おれの部屋にパソコンが来たのは40歳を少し過ぎたころで、それまでは勤め先でデータ入力程度はしていましたが、自前のパソコンでネットが使える環境になっても、いまでさえ、長年の謎を検索して答えを得るような習慣が付いていません。
40で手にしたモノだからでせうな。
昨日、やっと「古事記」を検索し「日本書紀」との違いを知りました。
「古事記」は為政者が民を治めるために書かれ、「日本書紀」は当時の大陸や半島のひとへの公的なものであったようです。
「古事記」は読んで面白いらしいのですが、「日本書紀」は資料的で読み物として面白いわけではないとのこと。
へー、と感心したのは、イザナギとイザナミのやりとりが、旧約聖書のアダムとイブのそれと似ていること。
女が男を誘惑する、という設定は一緒で、むかしから「日ユ同祖論」を唱えるひとが一定数いることと関係があるのかもしれません。
閑話休題。
今日は帰宅して、ジブリアニメ『もののけ姫』』に付いてググってみたのですが、ザクザク出すぎてどれを読むべきか迷っているうち、あー、オタキングと呼ばれているあのひとはアニメに詳しそうだから、そういう系のYou Tube動画がありそう、と踏んで、探したらすぐにヒットして見始めたのですが、2時間近くのすげー長い動画でした。
いやー、あのひとの情報収集、処理能力は素晴らしいものがありますな。
話し方も上手いっすな。
『もののけ姫』の封切りは1997年だったそうな。
当時、おれは民俗学に興味があり、図書館で柳田国男、折口信夫、宮本常一、南方熊楠
などの著作を借りて読んでいました。
自前のパソコンなど、想像も出来なかったった頃っすな。
『もののけ姫』の設定が当時のおれの興味と被り、シアターで観ました。
ジブリアニメをTSUTAYAレンタル以外で観たのはあの作だけです。
時は室町時代。
エミシの王子アシタカ、タタラ場の女親分エボシ、山犬に育てられた少女サン。
エミシは蝦夷で、お上にまつろわぬ者をそう呼んだそうです。
渡来の弥生人に逆らう縄文人をエミシとした、という学者もいます。
後年、江戸時代になると、蝦夷はアイヌの人々を指すようになり、読み方も「エゾ」となります。
タタラ場は山間の製鉄所で、そこで鉄をつくるひとは高熱で眼をやられ、タタラ場があった所には大抵ダイダラボッチ伝承があるようです。
1つ目の巨人神ダイダラボッチ。
ラストで出てくる巨人はあれでせうな。
ダイダラボッチはテレビアニメのゲゲゲの鬼太郎で観た記憶もあります。
女親分エボシは、そもそもは棄民で倭寇の有力者の嫁になりますが、有力者を殺して日本に戻り、当時の先端産業だった製鉄所をつくります。
山犬に育てられたサンは、やはりお上にまつろわなかった縄文人が山間部に逃げ、定住せずに移動しながらセブリというテントで暮らした「サンカ」の人たちと関係があるのかと思っていたのですが、(漢字だと山窩で、良い字面ではありませぬ)オタキングの解説ではサンカのサの字も出てきませんでした。
当時、既に「自然破壊」が問題視されていて、あのアニメは、先端産業で山を荒らすエボシと山を護るサンの対立のお話として紹介されていましたが、ちがうんじゃねーの?とおれは思ったのでした。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
ビートルズ最後の曲がこれ。
『HER MAJESTY』。