金曜日。
いつもなら週末ですが、明日、作業所は開所し、おれも通所します。
コロナで出歩けないので、開所はありがたいです。
さて、今日は3月に1度の消化器内科通院日だと思いこんでいて、でも薬の残から「もしや来週かも」と予約表を見てみると、やはり来週でした。
だからいつものように作業所に通所し、朝一から夕方までやり過ぎるくらいに仕事をしました。
やりすぎ感は復路の電車内で、左手親指がカクカクしてそう感じたのでした。
去年の今頃に、既に左手親指第一関節は曲がっていました。
付け根が痛み、J病院整形外科に診せると、
「あー、大したことはない。安静にしておけば治る」
でもさー、親指を安静にすると、ほぼ何も出来ないんだよね。
親指を使わないと、作業所の仕事は不可だし、ギターも弾けない。
おれは、ネックを巻き込んで親指で6弦を押さえることもあるので、「安静」は無理っす。
最初の緊急事態宣言のときに、ちがう医者にかかったら、付け根の腱鞘炎といわれ、毎日マッサージを受け、痛い注射も打たれましたが、第一関節の曲がりは一向に治らず。
そこに約2ヶ月通いましたが、治る気がしなくて、
「もう曲がったままでいいいや」
いまも曲がっていて、第一関節に不可がかかる仕事は、おれだけ別メニューっす。
ギターのバレーコードもいまだに痛みをともないます。
あー、今日は、文芸について書こうと思っていたのですが、これから端折って書いてみます。
おれが初めて小説らしきものを書いたのは、40を少し過ぎたころでした。
パソコンが部屋に来て、ネットを徘徊するうち、2ちゃんねるに行き着き、興味のある分野の板にスレッドを立てて遊んでいました。
それは文学板で「夢十一夜」などとフザけたスレッドタイトルで、見た夢を描写した文をUPしていたのですが、そこを見たある人が「創作文芸板もありますよ。そこで書いてみたら?」的に誘ってくれて、行ってみるとその板は「文章虎の穴」という投稿サイトと連動していて、多くの名もなき書き手たちが自作の小説を発表していました。
えー? あんたら素人のくせに小説とか書いて不特定多数が読むところに晒してるけど、選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり、とか感じたことあんの?
などとびっくりしたものです。
いまでも記憶している作もいくつかあり、『傲慢な青』『蝶』『遠くに行ってはいけないよ』などは、おれが読んだ限り、出来も素人離れしたもので、えー? なに? このシチュエーションは? よーし、おれも何か書いて投稿してみよう、とういう気になり、『猫はサワン』というタイトルで実体験を少し脚色したものを書いたのでした。
若い時分に井伏鱒二『屋根の上のサワン』を読んで、あー、これが文学というものか。信ずるに値するんじゃね? と感じた記憶は鮮明です。
以下におれが痺れた部分を抜粋します。
サワンは、屋根に登って必ず甲高い声で鸣く习惯を覚えました。それは月の明るい夜にかぎって、そして夜更けにかぎられていました。そういうときに、私は机に肘をついたまま、または夜更けの寝床の中で、サワンの鸣き声に答えるところの夜空を行く雁の声に耳を倾けるのでありました。その声というのは、よほど注意しなければ闻くことがないほど、そんなに微かな雁の远い音です。それはききようによっては、夜更けそれ自体が孤独のためにうち负かされてもらす溜息かとも思われて、若しそうだとすればサワンは野溜息と话をしていたわけでありましょう。
おれはここにイカれました。
で、「サワン」をタイトルにいただき、野良猫と交友した実体験を多少脚色して書いてみました。
『猫はサワン』とし、初めて投稿しましたが、ぽつりぽつり良い反応があり、嬉しかったものです。
でも多くの者から称賛されるようなことはありませんでした。
あー、今日は何だか疲れてしまった。
ここまで。
明日も書きます。
いまはネットで『屋根の上のサワン』が読めるようです。
掌編と短編の中間程度の文量です。
下にアドレスを貼って、この項を終わります。
日本のサイトではないようなので、そのことはお伝えします。
求综合日语第五册第十课《屋根の上のサワン》日文全文,谢谢~240046146@qq.com_百度知道 (baidu.com)