火曜日。
作業所は今日が仕事初め。
昼前まで仕事をし、近所の神社へ初詣。
おれは鳥居をくぐり、賽銭も投げず参拝もせず。
毎年、この時期になると、そういうことに付き合うが、日常のなかで、人智を超えた絶対的な存在から何かしてもらっている感じはまるでしないので、神社に行ってもお寺に行っても、マジに参拝している人を見て、アホかと思ってしまうのです。
おみくじ300円とか、合法的な詐欺、のように思います。
さて、帰宅してYou Tubeで『First Love』のカバーをいろいろ聴きましたが、宇多田のオリジナルが断然良かったっすな。
宇多田の欠点は歌詞かな、と思っていたが、そもそもおれがラジオ少年になった頃は、Jポップもニューミュージックもなく、選択肢は洋楽か昭和歌謡でした。
洋楽を志向したおれは、ボーカルも楽器のひとつくらいに考えていました。
英語の歌詞は断片的にしか耳に入ってこなかったしね。
だから、少しあとに吉田拓郎がでてきて、邦楽も聴くようになったけれど、歌詞に思いが向くことはありませんでした。
ミュージシャンは良いメロディを創ってなんぼだろ、と思っていました。
マッカートニーこそが最高だと思っていました。
実はいまもそう思っています。
例外はありますが。
中島みゆきとか忌野清志郎が、耳に入ってくる理由は、歌詞の良い悪いではなく、歌の上手い下手で、彼等は上手いのだと思います。
まー、拓郎が歌う岡本おさみの歌詞も、デカダンス文芸風で、ちょっと好きでしたが。
総じて、フォークシンガーが歌う歌詞なんて、賢治や朔太郎に全然迫っていないと、断定癖のあるおれは、そう断定したのでした。
メロディと歌詞の複合技には懐疑的っだったのですな。
多感なころにそうだったので、いまでも尾を引いていて、だから、桑田や宇多田が好きなのかもしれないっすな。
まずはメロディありきで、歌詞は適当に聴く。
まー、作り手はそう思ってリリースしていないとは思いますが。
おや。
ここまで書いて「今日はこんな感じで行こう」というものとは全然ちがってきましたな。
吉田拓郎にシビレていた頃のことを書こうと思っていたのですが、またの機会になるようです。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。