木曜日。
朝一で作業所に通所した。
着いて早々にスタッフがおれに訊いた。
「昨日のスタジオはどうだった?」
「まともに出来たのはおれとボーカリストだけ」
「だれがだめなの?」
「ドラムスとキーボード。ドラムスは叩きはじめて日が浅いし、スタジオ入りが練習だと思うから仕方がないが、キーボードは演奏以前の問題で、世界との関わり方が変」
的に応えた。
遅刻してきたキーボード奏者は、昼休みに「きみは『夏祭り』から抜けなさい。『夏休み』をきっちり弾きなさい」
と説教されていた。
『夏祭り』は、ジッタリンジンとかホワイトベリーでおなじみの、いわばスタンダードナンバーで、他の者も知っていたが、『夏休み』も同程度認知のスタンダードだと思っていたおれは勘違いをしていたようです。
拓郎の『夏休み』を、いまの40代の者は知らないことが分かりびっくりした。
おれがギターを弾くようになったきっかけは吉田拓郎のメジャーデビューで、14歳でしたな。
誰もが拓郎のようになりたくて、御茶ノ水の楽器街でフォークギターを買った。
アコースティックギターなんて呼び方はまだされていなかった。
おれは黒澤楽器店のいまでいうストアブランドの「白馬」というモデルを8000円とかで買った。
メイドインジャパンが信頼性を持つ以前の話で、そのギターもバッタモンであった。
当時に流行った洋楽『嘆きのインディアン』の歌詞に、
「おれたちの居留地の土産物屋にメイドインジャパンのブリキの玩具が売ってる」
的な一節があり、日本製とはそういう扱いであった。
隅田川も荒川も臭くて、下町に行くとその匂いになかなか慣れなかった。
後年のバブル期にツアコンになったおれは、色んな国に行くことになるのだが、台湾とか韓国とか、都市部の河川は当時の日本と似た状態で、高度成長期に見られる現象なんだろうなー、と思った。
白馬を手に入れたころに、だれもが弾こうとしたのが『夏休み』でしたな。
左手の運指は簡単だし、3フレットにカポを付けたら拓郎と同じキーになりましたな。
いまでも弾かれ継がれている一曲だとばかり思っていたが、そうではないようです。
まー、歳をとるとよくある話ではあります。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます