日曜日。
休日。
昨日、今日と、寝起きが良くない。
起きる時間が遅くなるとかではなく、目覚めてからベッドを出るまでに、いやなイメージが去来してくる。
もう半年以上、休日はスーパーやコンビニに行くだけで、あとはアパートでネット、テレビ、ギター。
そろそろストレスもたまるころかもしれなません。
You Tubeで、アコギ関連の動画をずっと見ていた。
おれがギターを弾くようになったきっかけは、吉田拓郎がメジャーになったことでした。
『結婚しようよ』がヒットし、御茶ノ水で安物のフォークギターを買って、ギター関係の雑誌を頼りにコードを覚え、あの曲を、わりとすぐに弾けるようになりましたな。
3フレットにカポをつけて、C G7 Am C といまでもスラスラ出てくるのは、思春期の頃に覚えたことだからでせう。
そのころは、みんながやってるからおれもやる感じでしたが、拓郎の次のシングルは『旅の宿』で、レコード屋でジョン・レノンのイマジンやツエッペリンⅣを買おうかなーとしているときに、『旅の宿』が流れてきて、びっくりするくらいに良い歌だと感じ、その曲が入ったアルバム、元気です、を買ったのでした。
で、『旅の宿』は、シングルバージョンとアルバムバージョンが違っていて、アルバムバージョンではアコギ一本の弾き語りでした。
2フレットにカポを付けてEm Am G B7 で、これも記憶しています。
ギター雑誌を読んで、あの曲はギブソンj-45で弾かれている、と知りました。
元気です、には他にも『リンゴ』や『祭りのあと』で聴こえるアコギもギブソンであると知り、それは刷り込み体験といえます。
拓郎は、次のアルバム、御伽草子、でマーチンD-35に持ち替えます。
『制服』が弾き語りで、マーチンはギブソン比で、カラッとして澄んだ音だと感じました。
御茶ノ水の楽器街で、両モデルとも売っていて、マーチンの方が割高でしたが、ギブソンで刷り込まれたおれは、買いそうな客が試奏するギブソンの音色を聴いていました。
1ドルが360円のころで、とても高価だったことは覚えているのですが、正確にいくらであったかは忘れています。
さて、時が経ち、35歳くらいのときに、1ドルは80円前後で、おや? もしかしてギブソン買えるんじゃね? と。
当時は年に2回、100万円を超えるボーナスがありました。
御茶ノ水に行くと、あの型番J-45が17万円くらいで、えー? 安いじゃん、と飛びつきましたな。
でも、上記『旅の宿』ような音はしなかった。
とてもがっかりしたことを思い出します。
クラプトンのアンプラグドが世界的に売れて以来、アコギによるブルース系指弾きのレッスンビデオなども流通している時代でした。
それらを見ながら弾きながら、おれのギブソンはハズレだと思いましたな。
ギブソンはアタリハズレがあり、アタリの個体は少ない、といわれていました。
それ以来、ギブソンにはこだわらなくなり、ギルドやテイラーやマーチンを取っ替え引っ替え買っていました。
まー、理不尽だと思うのは、ベニアでできた安物のギターは品質が安定していますが、単板を使ったギターには個体差は付き物で、どんなメーカーでも、同じ型番を2本弾き比べて、違う音がします。
個体差であれば、好みの個体を買えば良いけれど、ギブソンの場合は個体差以前に優劣がありました。
それでも、思春期に刷り込まれた経験は捨てがたく、55歳のころに、手持ちのマーチンを下取りにして、ギブソンJ-45の中古品を買いました。
ヘッドに「ギブソン100周年記念」のロゴが入った個体で、そういう年に製造されたものならハズレではないだろうと踏んだから。
おれは、買うと決めると舞い上がってしまい、また、楽器屋はたいてい民家より音が響きやすいし、他のアコギが共鳴して、自宅に持ち帰った際に良いか悪いか、好みの音か否か、判断ができないのですな。
まー、そのj-45はハズレではなかったので、5年位は弾いたでしょうか。
でも、いまの時代はエレアコが主流で、老舗メーカーの定番モデルでも、ピエゾというピックアップが付いていて、シールドでミキサーやアンプに繋げるように作られています。
現行のJ-45もそのはずです。
おれの30年物のj-45も、後付のピエゾを付けようと御茶ノ水に持って行ったのですが、シモクラ楽器店でヤマハLL16の新品同様を見たとたん、なんだか呼ばれている気がして、試奏してみると、ギブソンより音量があり、各弦のバランスも良いと感じ、値段交渉をしたら、ギブソンの下取り額が思っていたより高く、ヤマハと交換していくらか返ってくるような展開になり、ヤマハを持ち帰りました。
もちろんピエゾ付きあります。
いまのところ、ヤマハで満足しいますが、3度目のギブソンJ-45もあるかもしれないと思う秋の夜更けであります。
とりとめもなく、ここまで。
明日も書きます。