MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

バタ臭くても意義はあると思うのです。

水曜日。

定休日。

大相撲は、この場所に横綱を狙う貴景勝が初日から4連敗。

休場しそうなほど弱い。

大相撲は、おれがこの国の伝統文化と繋がっている唯一のもの。

行司さんの衣装や発声を、小学生の頃から見て聴いているが、経験しておいて良かったと思います。

歌舞伎も能も狂言も、あることは知っているが、どんなものだか全く知らないといってよい。

たまに、テレビのCMで歌舞伎役者がそれらしいことをしていたけれど。

ところで、漱石鴎外以降の小説はどうかな。

学校で古文を習ったが、当時から読めなかったし、それらが漱石と繋がている気がしなかった。

方丈記とか平家物語とか、冒頭を暗記させられた記憶はありますが。

 

あ、思い出した。

今日はMISIAについて書こうと思っていたのだった。

ここ数日、宇多田ヒカル『First Love』をYou Tubeで聴きながらアコギで合わせるようなことをしていて、おや? MISIAも似た時期に出てきたな、昨年末の紅白で紅組のトリだったらしいな、とか。

MISIAR&B系の人で、いつの間に紅白でトリと務めるようになったのかね、とYou Tubeで何曲か聴いてみた。

歌、上手いっすな。

熱唱型で、宇多田ヒカルとはちがうが、歌い出しからワンコーラスが終わるころには、聴衆のハートをがっちり掴んでいます。

彼女の出始めのころに、あー、これならアレサ・フランクリンを聴いておけばいいや、とか思ったのだが、いまはちがう系統に進化して、大歌手の佇まいであります。

アレサというより、八代亜紀的におれには聴こえました。

圧倒的に上手いという括りで。

そう。

このあたりを言葉にしたかった。

出始めの桑田佳祐宇多田ヒカルに、おれは喝采したが、桑田はいま、幼少時に聴いた昭和歌謡に回帰しているようだし、宇多田ヒカルがどうしているのかは知らない。

おれの世代は、選択肢が洋楽か昭和歌謡しかなかく、ラジオ番組も、洋楽系は洋楽しか流さなかったし、歌謡曲系はそればかりで、おれは洋楽を聴きながら、成人するころにサザンが出てきたのでした。

おれは洋楽チックなものに飛びついたのですな。

サザンが洋楽チックで、宇多田は洋楽そのものだと思いました。

世代の話を続けると、リズム1234の、2と4のタイミングでクラップ出来ない者も多くいて、ディープ・パープルの日本で録音されたライブアルバムの冒頭は『スモーク・オン・ザ・ウォーター』なのだが、聴衆はあのギターリフの1と3でクラップしていて、異変を感じたバンドはクラップが2と4になるように修正して始まるのでした。

まー、クラップする場面なんて、幼少時に聴いた盆踊りの『東京音頭』や『炭坑節』、『オバQ音頭』くらいなもので、1でクラップする習慣というか、それがDNAに刻まれているだと思います。

だとすると、MISIAがアレサっぽくなくなったのも、腑に落ちるわけです。

嗚呼、書きたいことからずんずん離れて行く。

おれは、桑田や宇多田やMISIAの歌唱から、日本人も間接的に、ブルースやR&B のルーツであるゴスペルに触れていることをいいたかったのに。

まー、ビーツルズの『ヘイ・ジュード』は世界中の人が知っていて、今後もその現象は続くでしょう。

あの曲の後半「ナーナーナー♫」は、ゴスペルそのもので、あれこそがマッカトニーの偉大な功績だと思うわけです。

ラブ&ピースとか愛と平和のベッドイン、のようなスタンドプレイ的能書きではなく、あくまでミュージシャンがミュージシャンらしい仕事をして、霊歌を世界中の人に届けたのだから。

 

例によって、脱線しながらも行数は稼いだかな。

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。