水曜日。
定休日。
休場しそうなほど弱い。
大相撲は、おれがこの国の伝統文化と繋がっている唯一のもの。
行司さんの衣装や発声を、小学生の頃から見て聴いているが、経験しておいて良かったと思います。
歌舞伎も能も狂言も、あることは知っているが、どんなものだか全く知らないといってよい。
たまに、テレビのCMで歌舞伎役者がそれらしいことをしていたけれど。
ところで、漱石鴎外以降の小説はどうかな。
学校で古文を習ったが、当時から読めなかったし、それらが漱石と繋がている気がしなかった。
方丈記とか平家物語とか、冒頭を暗記させられた記憶はありますが。
あ、思い出した。
今日はMISIAについて書こうと思っていたのだった。
ここ数日、宇多田ヒカル『First Love』をYou Tubeで聴きながらアコギで合わせるようなことをしていて、おや? MISIAも似た時期に出てきたな、昨年末の紅白で紅組のトリだったらしいな、とか。
MISIAもR&B系の人で、いつの間に紅白でトリと務めるようになったのかね、とYou Tubeで何曲か聴いてみた。
歌、上手いっすな。
熱唱型で、宇多田ヒカルとはちがうが、歌い出しからワンコーラスが終わるころには、聴衆のハートをがっちり掴んでいます。
彼女の出始めのころに、あー、これならアレサ・フランクリンを聴いておけばいいや、とか思ったのだが、いまはちがう系統に進化して、大歌手の佇まいであります。
アレサというより、八代亜紀的におれには聴こえました。
圧倒的に上手いという括りで。
そう。
このあたりを言葉にしたかった。
出始めの桑田佳祐や宇多田ヒカルに、おれは喝采したが、桑田はいま、幼少時に聴いた昭和歌謡に回帰しているようだし、宇多田ヒカルがどうしているのかは知らない。
おれの世代は、選択肢が洋楽か昭和歌謡しかなかく、ラジオ番組も、洋楽系は洋楽しか流さなかったし、歌謡曲系はそればかりで、おれは洋楽を聴きながら、成人するころにサザンが出てきたのでした。
おれは洋楽チックなものに飛びついたのですな。
サザンが洋楽チックで、宇多田は洋楽そのものだと思いました。
世代の話を続けると、リズム1234の、2と4のタイミングでクラップ出来ない者も多くいて、ディープ・パープルの日本で録音されたライブアルバムの冒頭は『スモーク・オン・ザ・ウォーター』なのだが、聴衆はあのギターリフの1と3でクラップしていて、異変を感じたバンドはクラップが2と4になるように修正して始まるのでした。
まー、クラップする場面なんて、幼少時に聴いた盆踊りの『東京音頭』や『炭坑節』、『オバQ音頭』くらいなもので、1でクラップする習慣というか、それがDNAに刻まれているだと思います。
だとすると、MISIAがアレサっぽくなくなったのも、腑に落ちるわけです。
嗚呼、書きたいことからずんずん離れて行く。
おれは、桑田や宇多田やMISIAの歌唱から、日本人も間接的に、ブルースやR&B のルーツであるゴスペルに触れていることをいいたかったのに。
まー、ビーツルズの『ヘイ・ジュード』は世界中の人が知っていて、今後もその現象は続くでしょう。
あの曲の後半「ナーナーナー♫」は、ゴスペルそのもので、あれこそがマッカトニーの偉大な功績だと思うわけです。
ラブ&ピースとか愛と平和のベッドイン、のようなスタンドプレイ的能書きではなく、あくまでミュージシャンがミュージシャンらしい仕事をして、霊歌を世界中の人に届けたのだから。
例によって、脱線しながらも行数は稼いだかな。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。