MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

前衛的なものが苦手な傾向にあります。

火曜日。

昨日、ノーアイディアで書き出して、終いの方で「明日はレノン&マッカートニーについて書く」とかのたまいましたが、なんだか考えがまとまらない。

ジョン・レノンが射殺されたとき、おれはまだ20代前半の小僧で、その報を聞いてびっくりして、とりあえずクルマに乗ってそのへんをドライブする気だったけど、カーラジオはAMもFMもその話題ばかりで、どの局もスターティング・オーバーとイマジンしか流さない感じで、おれはなんだか「おまえらはポールのこともなんかいえよ!」とか怒りがこみ上げてきて、当時のおれの家は千葉にあったから、とりあえず海に行こうと思い木更津あたりまでドライブしたことを憶えている。

当時、おれはクルマを運転して気分を落ち着かせるようなことがあったから、ジョンが死んだことに動転していたのだろう。

大事件だとは思ったが、常々ビートルズはポールがいてあれだけの存在になったと考えていたおれは、いま、世界中がジョンのことを考えているんだろうなー、これでジョンは伝説とか殿堂入りするとかになるのだろうが、おまえらはポールのことをないがしろにしてねーか? とか義憤のような思いが湧いてきたんですな。

あのバンドは、初期の曲はジョンとポールの合作もあっただろうが、中期から末期でおれが良いと思う曲はポールのものが多かった。

特に末期、ジョンはポールに圧倒されていたと思う。

ヨーコに傾倒して前衛的なものを志向するようになったのも、そのへんに理由があると思っていた。

ジョンは詩人でカリスマ性もあったけど、バンドのエンジンはポールだったと思う。

まー、思い出せば、おれが前衛芸術というものに初めて触れたのは、解散後のジョンのシングルレコードのB面のヨーコによる歌唱で、中学生だったおれは「聴くに耐えない!」と思った。

オープンユアボックスとかホワイとか、すげー嫌でしたな。

その経験はけっこう尾を引き、後年になって、絵画を観るようになっても、ピカソキュビズムとかミロやカンデンスキーのカーテンの柄のような絵も、ネタが尽きた芸術家の成れの果てのように思っていた。

というか、いまも思っています、実は。

要するに、おれは、レノン&マッカートニーではなく、レノン<マッカートニーである、といいたいだけなんですな。

でも、好き嫌いでいうと、レノン>マッカートニー。

簡単に済んでしまった。

ずっと考えてきたことなのに。

 

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。