土曜日。
3連休の初日。
今日もスーパー買い出し以外はおとなしく部屋にこもりました。
ワラット・インタサラ/白石昇訳『カラバオの足跡を追いかけて』をキンドルで購入。
訳者の白石氏とは旧知といってよく、カラバオのことも聴かされていた。
タイの国民的バンドで、日本のサザンオールスターズ的な存在。
というふうに。
まだ読み始めていないが、周辺知識としては、スマトラ島沖地震の際の犠牲者を悼む歌『アンダマンの涙』を演奏するバンドのリーダーの名前がエート・カラバオで、それがバンド名ということなど。
キャリアはとても長いようです。
というのも、白石氏がおれの部屋に来て、この曲の動画をおれのPCモニターで観たり、白石氏自身が訳した日本語バージョンをアコースティックギターで弾き語るのを聴いたのは随分むかしのことだと記憶しているから。
PCモニターがエイリアンの頭部のように奥行きがあってすげー重たかったころだから、まーむかしのことっすな。
そのとき既に「タイの国民的バンド」と聴かされていたから、確かに日本でいうとサザンかな、とは思う。
サザン好きのおれだけど、全曲知っているわけではなく記すのだが、桑田佳祐は社会的メッセージ・ソング、あるいはプロテクソソング的な曲を創ったかな。
ミュージシャンがそういうことをするようになったのは、ディランやレノンがハシリだと思う。
ビートルズの楽曲にもそういうものはあり、いまぱっと出てくるのはレノン作の『レボルーション』で、あれは、革命のためにカンパしてくれと、とレノンにいってくる者たちを揶揄したものだが、まー、社会性のある歌で括ると入ると思います。
おれがラジオ少年になったのは、ビートルズが解散して間もないころで、おれのいう「そういうこと」にはレノンが積極的でした。
でも、ラジオ少年のおれの心に響いたのはマッカートニーの曲が多かったっすな。
ソロ名義や解散前の楽曲でも。
で、レノンがそういう方向に向かった理由は、楽曲の質量ともにマッカートニー押されてきて、前衛芸術家のヨーコと恋仲になったり、ラブ&ピースとかいったりして対抗してたのだと思うわけです。
ことの始めとしては。
後続で、レノン支持者は、キャッチーな曲なんておれでも創れる、と思っているのでせう。
デビッド・ボウイやスティングや、その他大勢。
で、おれは「そういうこと」をする者より、しない者が好きなんですな。
小説を書く者を見ても、する者は多い。
いまの作家だと、平野啓一郎のそういう系発言を、ヤフーヘッドラインでよく見かけます。
でも、おれが好む作家はしない派っすな。
誰それは、何度も書いているから、今日は書かないけれど。
音楽の好みと似た傾向です。
などと、とりとめもなくここまで書きましたが、白石昇がリリースするものは、面白いとは思っています。
前作のタイの有名詩人について書かれたものは、おれには合わなかったけれど。
合わなかったというより、難解でしたな。
さて。
眠剤タイムになりました。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。