土曜日。
休日。
ここ数日は陽気がゆるんできて、春はもうすぐそこかな、と思いましたが、今日は夕方から冷えてきました。
いま、おれの地域の外気温は5度だそうで、真冬っすね。
さて、昨日の項で、レノンはメロディをガッツリ創る、と記しましたが、なぜそう感じるかを具体的に書いてみます。
レノン&マッカートニー名義で括ると、初期のキレイなバラード『イフ・アイ・フェル』にガッツリを感じます。
あの曲の魅力は、サビというか2番めのバースでのレノン&マッカートニーによるハモリにあるますが、いま膝に乗せているアコギで弾いてみると、
D Em F#m E m A D よくある進行。
ちょっと変わっているのが次。
ドミナントAからD7 G Gm C7 D 凝ってるけど、ま~、ありがち。
問題はこのキレイなハモリパートのマクラ的に使われる歌い出しのパート。
E♭m D C# B♭m
上述ハモリパートとの関連性が希薄、というよりほぼ無関係。
繰り返しで、
E♭m D Em A
DからEmに行くのが強引というか、あり得ない。
AはDのドミナントで、あのハモリに移行します。
ここをどう見るかが、レノン>マッカートニーなのか、レノン<マッカートニーなのか、の決め手っすな。
マッカートニーはこういう荒技を使いません。
メロディを創っているようにはおれには思えず、そのへんにふわふわ漂っているキレイで正しい音の配列を、感度の良い、しかも彼しか持っていないアンテナで受信して、それをメロディとしているような。
陳腐ないい方ですが、神の領域、と感じるわけです。
ま~、世間的には「レノン>マッカートニー」と考えるひとが多い気がして、それはレノンが民を洗脳することに長けていたから、と思うわけです。
それゆえ、ある種の義憤のようなものにかられて、おれはマッカートニーを贔屓するわけです。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
ザ・ビートルズ『イフ・アイ・フェル』。