土曜日。
休日。
10時過ぎにスーパーへ買い出しに。
え? 暑くね? まだ午前中だぜ?
チャリを漕ぎながらそう感じました。
外出はそれだけ。
You Tubeで織田哲郎というヒットメーカーのヴィンテージギター自慢動画をよく見るのですが、この人もヒットを狙って流行らせることが出来る者にありがちなレノン信仰の人だと判明しました。
ここを更新するまえに見ていた動画で、マッカートニーは構築するのに長けているけれどレノンはなんたらかんたらと熱い口調でいっていました。
スティングとかデヴィッド・ボウイもビートルズを語るときは「レノン!」と。
ところで、おれは14歳からギターを弾き始め、覚えははやい方でした。
CのキーならFやG、Am、Emを適当につなげれば、それが即ち初歩的なコード進行で、そういうことはすぐに手のうちに入りました。
それらを適当に弾きながらなんとなくハミングすれば、それで作曲になるわけですが、キャッチーなメロディにしようとすると、吉田拓郎に似てしまうことは自覚していました。
この分野には見込みがないことを早い時期に知り、そっち方面には手を出さずに今日まで来ました。
当時、やってみた感覚としては、良いメロディは創るものではなく、そのへんにふわふわ浮いているキレイな音の配列を受信する器官の精度の問題であると。
これは耳の話ではありません。
で、おれのアンテナは感度がよろしくないと、ごく早い時期に判ってしまいました。
それを自覚できない者がヘンなメロディを「創った!」と勘違いしている例は、実はとても多いと、いまでも思っています。
ただ、そういう客観性は、ずっと後年に小説を書くようになった際に役立ちました。
「真に自分を客観視出来る者はいるの?」的な問題は残りますが、そこに話が行くとややこしくなるので記しません。
文を書くときの客観性とは、実際に見えている地点より後ろに下がって対象を見ることだと思います。
そうすることにより全体が見えるようになり、その状態で対象に近づいたり引いてみたりの匙加減が、即ち文章作法だと思うわけです。
文とは言葉の配列であり、言葉は誰もが持っているので、文章を書くことは、上述の作曲よりずっと間口が広い分野だと考えます。
それゆえ、勘違いしている者の数も天文学的だと思うわけです。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
ジョン・レノン『IMAGINE』。
これを出しておけば何でも収まる不思議。