MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

小さな話を好む傾向にあります。

土曜日。
今日からまた自宅待機。
来週は金曜日に作業所に通所することになった。

NHKで水泳、池江璃花子のドキュメントのような番組をみた。
退院していまは筋トレとか顔を水につけないでプールで泳いでいるようです。
白血病は免疫力が低下するから、パンデミックのいまは大変だと思う。
手足が細くてなんだか痛々しい気がした。
アスリートらしく、
「過去は振り返らない。前だけを見る」
と発言していて、そこが印象的でした。
私見だが、アスリートと作家は、見る方向が真逆っすな。
過去を振り返らないで小説は書けない。
むしろ、過去を見つめることがMUSTだとおれは思うけど、アスリートはそれだと大成しないでしょうな。
まー、堂々と過去に拘れるのは、作家くらいなものかもしれないっすね。
有能な実業家や政治家は、過去を検証して未来にいかすのだろうが、作家が過去をみるのとはちがうしね。

それはさておき、東日本大震災後も、震災にまつわる小説が多かったけど、アフターコロナも、そういう現象が起きるんだろうね。
アフターはなく、人類20万年の終焉かもしれないけど。
まー、世界的な疫病だから、書かれるその数も震災小説の比ではないでしょうな。
そして、私見はさらにつづくのだが、そういうでかいネタは文芸作品になりやすいし、文芸プロパーみたいな者以外も読むだろうから、出版社も推すし、流通もするんだろうけど、おれはでかい話より小さい話を好む傾向にあり、そういう作品を書く作家は書きたいもの以外に食い扶持を持っていましたな。
吉行淳之介は対談で、色川武大は麻雀エンタメ小説で。
あと、井伏鱒二なんかも小さいことを書く作家だったけど、『黒い雨』が例外で、原爆の話で、たぶん世界的に読まれただろうから、食い扶持の心配はなかったかも。
内田百閒は、食い扶持が苦しいことをネタにエッセイを多く書きましたな。

ではでは。
なんか、中途半端だけど、今日はここまで。
明日も書きます。