MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

三島の与太書きとはちがいます。w

火曜日。
子供の日
でもコロナ自粛で、付近に鯉幟は見当たらず。
小学校に上がったとき、西武線石神井公園から大泉学園に引っ越し、1年3組のクラスメイトは知らないやつしかいなかった。
あのころはひとクラスに45人とかの児童がいて、おれ以外は一緒の幼稚園から上がってきたりで、そういう者たちの小さなグループ4つくらいで構成されていた。
そういうなかで、自分の立ち位置を確立するのは、いま思えば、簡単ではなかった。
9月入学とか、いずれそうなるみたいだが、おれは4月にランドセルを背負い、すぐに鯉幟の歌を教わった。
幼稚園のころは、
「屋根より高いこいのぼり~♫」
をすみれ組で合唱し、3年保育で早生まれのおれは、3歳児で「こいのぼり~♫」が上手く発音できず、先生とか親がウケて笑っていて、なんでー? とかの思い出があります。
既にクルマ好きな幼児で、発達障害児にありがちらしいが、道を走る全てクルマの名称やメーカーを認識していて、トヨタのクラウンが2代目になって、ドアが観音開きではなくなくなり、フロントグリルがいかつい顔から笑っている顔になったことも、日産の初代ブルーバードのテールランプが柿の種みたいだったことも鮮明に憶えている。
外国車も、シボレーやフォード、クライスラーとかダッジの見分けもついていたし、ベンツも認識していた。
メルセデスベンツ
とうまく発音できなくて、何度もいわされて、面白がる大人が不思議でしたな。
話がそれたが、4月に小学一年生なってすぐに、
「甍の波と雲の波~♫」
と、グレードが上がった鯉幟の歌を教わり、あー、ぼくはお兄さんになったんだなー、と認識したことを憶えている。
ちょうど弟が生まれた時期と重なっていたしね。
三島由紀夫は、生まれたときの産湯をつかった盥の木目を記憶している、とか、嘘800を書いて、それが好きな者も多いようだが、生まれたての赤子は目が見えないとつっこみをいれる者は少ない。
おれがあの頃の道で見る全てのクルマを認識していたのは事実で、三島の与太話とはちがうのである。
将来なにになりたい? とか訊かれると、
「タクシーの運転手さん」
と答えていたものです。

さておき、今日もレンタルDVDを観た。
ストロベリーナイト』が5枚くらいあり、その第一巻を。
竹内結子は美しいし演技力もある女優さんだったが、ストロベリーナイト/苺の夜、それってなんですかー? と思った。
明日、2巻以降を観る予定。

ではでは。
ここまで。
明日も書きます。