日曜日。
クリスマスイヴ。
親族の命日ですが、クリスマスと被っているいるゆえ憶えているのかもしれません。
とても辛い経験でしたが、以降、身近な人の死に際して、形式ばった「お悔やみ」の語を発したりはしますが、悲しみのような感情は湧いてこなくなりました。
ここ何年かでも、十代の頃の四人編成のバンド面子二人が他界したり、良くしてもらった友人や親戚が亡くなりましたが、一向に悲しくならず。
今は情報過多の世のなかで、「サイコパス」で検索すると、いろいろ記されています。特徴として、近しい人の「死」に面しても感情が動かない的なことも。
ま~、誰であってもいつかは死ぬわけだし、早いか遅いかで価値が変わるとは想えないし。
と、ここまで書いて、罧原堤の死にはけっこうなダメージを受けたことを思い出しました。
罧原堤とは京都の観光名所ですが、今述べているのは、それをペンネームにしていた旧2ちゃんねる創作文芸板の固定ハンドルさんのことです。
九州は福岡、大牟田の人でしたが、東京に出てきておれの部屋にもよく訪ねてくれました。
あの板に良い書き手が多くいた頃、彼は異彩を放ってました。
「異彩」を具体的に云うと、技術以前のプリミティブな部分が美しかった。
おれはあの場で10年書きましたが、彼の死に呼応するように連動していた投稿サイトも消滅し、住人達も散ってしまいました。
おれもその頃から書けなくなり、更に10年が経って、今はまた書けるようになりましたが、復帰してからの作はヘンに行儀が良く、メソッドのようなものに頼る書き方になっています。
さて、ジョン・レノンの『ハッピー・クリスマス』をアコギで弾いてみて、レノンの荒技について能書きを垂れるつもりでしたが、まるで違う展開になりました。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の一曲。
ジョン&ヨーコ『ハッピー・クリスマス』。
荒技とは、キーAの進行で、ドミナントのEに行くところをEmにして、EmはDのサブドミナントで、キーがDに転調されるところ。
そこからまたキーAに戻るところ。
そのあたりが不自然ではないから、やはりすごいっすね。
おれが中学生の頃にリリースされた曲ですが、歌い出しの前にジョン&ヨーコの囁き合いが在り、最近はそのことに触れる者が見あたらないのも???っす。