MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

10歳児に見えるkidがボトルネックでエピフォンのレスポールを弾いています。

金曜日。

作業所は出張冊子封入の仕事で現地解散。

約3時間動きまわる仕事で、この当番の度にふくらはぎや足先が攣る。

今日も攣りまくった。

片足を引きずりながらの3時間でした。

現地解散でいつもよりはやくアパートに帰宅。

汗をかくと踏んで替えのTシャツをデイパックに忍ばせました。

案の定そうなりましたが、着ていたのは黒いTシャツでシミはあまり目立たなかった。

だから着替えませんでした。

帰宅すると部屋が涼しい。

朝の出掛けにエアコンを消し忘れたようです。

でも、部屋に戻って即涼しかったので快適でした。

 

さて、最近というか、文を書き始めたころから迷うのが句読点。

書き始めは愛読した作家を模倣し多様しました。

最近はあまり「、」を使わない傾向。

ルールがないからその時の気分で行きますが、むかしに書いたものを読みなおしてみると「、」が多すぎる気がします。

文にリズム感を与えるために「、」は効果的ですが、書き手の体力と関係があるように思います。

おれの読書経験だと「、」が多かったのは吉行淳之介

少なかったのは野坂昭如

野坂は意識して少なくしていたように思います。

吉行は体力がない病気のデパート系。

野坂はイケイケヤンチャ系。

というようにとらえていました。

読みやすさでは「、」がある方が。

読みにくいのに読ませる野坂の才を当時は理解していませんでした。

あるいは類型をきらい、個性を出したい者が「、」を使わなかった。

と断じるには読書量が足りていませんが、数日前に『春琴抄』について少し記したときにあの作品ついて検索しました。

「、」がほとんどない文で書かれていると知り、谷崎をガッツリ描写系の書き手と感じたことと、『春琴抄』の「、」なし文は関係するのだろうかと思うわけです。

おれは2回以上あの作を読んでいるのに「、」なしの文で書かれていることに昨日まで気が付きませんでした。

 

さて、眠い。

最近は飽きるとこの1文を書き〆るパターンが多いことは分かっています。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

選曲はどうしよう。

こまったときはDaddyとkidsのファミリーバンドから。

ジョージ・ハリスン作のブルースナンバー『For You Blue』をDaddyが歌っています。

10歳児に見えるkidがボトルネックでエピフォンのレスポールを弾いています。

 


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