日曜日。
三月三日で桃の節句。
そしておれの誕生日。
三十を過ぎた頃から、誕生日が来ても嬉しくありませんね。
三十年前、おれは何をしていたのだろう。
三十六歳か。
ツアコンだったか建築関係だったか。
記憶が曖昧です。
ややこしい経歴だからでせうね。
建築関係は神経を病んで退職し、JR駅ビルに隣接したショッピングモール地下階の総菜屋さんでコロッケやメンチカツなどを揚げる仕事をしたことがありました。
あの頃のおれはパチンコのことしか考えていませんでした。
当時は「モンスターハウス」という機種がどの店にもあり、仕事帰りや休日に入り浸っていました。
お金が足りなくなり、アコムのカードを申し込むと即OKになりました。
借りてひと月以内に返せば金利が微で、自転車操業的に借りていました。
松坂大輔が西武ライオンズに入団し、初登板を休憩中に職場から近いパチンコ店のテレビで観た記憶。
日本ハムファイターズの片岡選手が155キロの速球に空振りして三振&尻もちの、あのシーンをリアルタイムで観たのでした。
その仕事は長続きしませんでした。
建築関係の同僚だった者の身内葬儀で受けつけをしている時、その会社の創業者と再会し、またおれのところに来い、的なやりとりがあり、おれは再びその建築関係に勤めたのでした。
復職してみると、オフィスはパソコンだらけで、おれもデータ入力くらいはしていました。
それからしばらくして自前のパソコンを持ち、間もなくインターネットが定額使い放題になり、2ちゃんねるを知りました。
文学板で漱石の『夢十夜』をパクった『夢十一夜』とかいうスレッドを立てて遊んでいたら、創作文芸板のコテハンさんが「こっちにも来てみれば?」と誘ってくれたのでした。
この頃から現在までは、記憶が途切れることはありません。
創作文芸板で自作をぽつぽつ発表し始めたのもこの時期からで、記憶が途切れていないのは文を書くことが習慣になったからだと考えています。
ここの更新も「毎日!」と決めてから5~7年は経っているはずで、精神疾患も投薬より毎日文を書くことでここまで無事に来れた気がしています。
いろいろなことが整理できた気がします。
何かを考える、ということは言語でなされるからでせう。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の一曲。