月曜日。
週初め。
朝、部屋を出る際、濃いグレーの雲が空の低い位置にあり、雨が降るのかな、と思いながら駅まで歩きましたが、途中でぱらつき、駅構内に入ったと同時に本降りに。
作業所最寄りの駅改札を抜けると、アスファルトは濡れていましたが、降り止んでいました。
夕方は傘いらず。
駅最寄りのスーパーでチキンカツと燻製の鶏を買いました。
昼ごはんにも鶏竜田揚げ弁当を食べたから、チキンづくしの一日になりました。
さて、かつてといまの、おれの文章作法の違いを考えてみましたが、ぼやけているので言葉にしてみます。
そもそもは、ワンセンテンスが長い文を読むことが苦手でしたな。
自前のパソコンを持ち、インターネットが定額使い放題になった頃が、文を書くことのスタートでした。
ネットを徘徊するうち、2ちゃんねる創作文芸板に行き着き、素人衆が小説を書いて投稿している現象を目の当たりにし、すげーびっくりしました。
ところで、キーボードの変換機能を使うことと、辞書を引きながら手書きで原稿用紙に文字を埋めてゆくことは、おれにとっては大変な違いで、変換機能がなければ、おれは書いてません。
その意味で、パソコンはおれの人生を変えたアイテムのひとつっすね。
上記投稿サイトに上がっている作には点数が付いていて、それは読んだ者が採点するシステムでした。
さて、結論が見えてきたので端折ります。
自分で書くようになるまえから、文章読本的なものはいくつか読んでいました。
たしか谷崎潤一郎のものにこんな件りがあり、なるほどな~、と。
この国の書き手を大まかに分けると、源氏物語の系譜と枕草子のそれに分類でき、前者は「やまと言葉」の伝統に則り、後者は「漢詩」からの影響が見えると。
前者は一文が長く、後者は短かい傾向にあり、自分は前者であり、後者の代表は志賀直哉氏であると。
そこいらへんを思い出し、描写こってりじゃなくても良いのか、とほっとしたのでした。
投稿サイトに上がっている作はこってり描写系が多く、そういうものに高い点数が付いているようにも感じました。
でもおれはあっさり味で行こうと。
いや、嘘をつきました。w
書いても書いても「淡い」とか「描写が薄い」とかの評が付くことが多かったのが本当です。
以降も端折りますが、書き始めて10年くらいは無い知恵を絞りながら過ぎました。
次の10年は書けませんでした。
西新宿高層ビルの一室、夜間の創作文芸系カルチャースクールにも通ったこともありました。
わりと最近、そのときの講師さんが教えたふたりが芥川賞を得たと知りましたが、おれは受講しながら「これ意味ねー」と感じていました。
ワンクール通って得た結論は、自己流で行くしかないということ。
で、ここからも端折りますが、昨日の項にも記した文藝マガジン・文戯の編集長から望外な高い評価をいただき、その気になったおれは10年ぶりに書くことが出来ているのです。
と同時にちょっと調子にのっています。
それは仕方がないっすね。
驕らない者は正直ではないだけの話だし。
調子こいたおれは自分を志賀直哉の系譜と想いました。
「~の如く」などの硬い語を使いたくなり、そのためには全体がそういう雰囲気でないとヘンな気がして、その実例が今回投稿した『ささやかなる帰郷』っすね。
端折ったのに疲れてきました。
ここまで。
この項つづくかも。
明日も書きます。
今夜の1曲。
Sarah Vaughan 『Misty』。