金曜日。
今日も暑かったっすな。
夕方に作業所から帰り、即エアコンを点けて、お酒の支度をしました。
最近は、酒量をコントロールするため、冷凍庫の氷がなくなったらその日はもう飲まないようにしている。
暑いから氷のなくなりがはやい。
今日もまだ日があるうちになくなり、ヘッドに転がると微睡んで起きたらこの時間。
明日から3連休だが、コロナで出歩けないし、「書くぜ」と決めた小説の案を練る。
『少年と犬』、ラストがもうそこまで。
いつも南の方向を見ていた犬は、震災直後の東北から新潟や滋賀や山口を経て熊本に来た。
終章でやっと少年が出てくる気配。
エンターテイメント系の書き手は、いろいろなことを広く浅く知っているように思う。
人間のキャパシティには限界があるから、広く深くは、なおなか難しい。
まー、広く浅く知ってないと、長い期間定期的に作品をリリースすることは難しいのだろう。
吉行淳之介は対談で、色川武大は阿佐田哲也名義で生活費を稼ぎ、少しの純文を書いた。
純文とエンタメを分けるのは、おれにはやはりちがいがあると思うから。
どっちがいいわるいではなく、すいすい読めて終わるとはやい時期に心から消えてしまうのがエンタメで、精神に傷のようなものを負い、ずっと居座るのが純文、なような気がする。
的を絞り、深く潜るのが純文で、であるからして、読み手を選ぶ。
おれの読書体験では、池波正太郎が、読んでいるときは面白いけれど、読み終わったら内容を忘れてしまう作家でしたな。
ディテールは断片的に記憶していて、池波正太郎の場合は食い物描写がそんなでした。
アサリの炊き込みご飯とかカツオの刺身を辛子醤油で食うとか、実際にやってみたりした。
アサリの炊き込み飯はすごく美味かった。
千葉に住んでいたころは、スーパーに生のアサリ剥き身が売っていてたから、それを買って、油揚げを刻み、料理酒と醤油だけの味付けで炊いた飯をよくつくった。
カツオの辛子醤油は、全然美味くなかった。
鮮度が良ければおろし生姜で、スーパーで買えるものは山葵でいった方が美味かった。
お盆である。
父方は、正月や結婚式は神式で、葬式は仏式で執り行うごく普通の家であったが、末っ子の父親が90歳を超えていて、兄弟は生きていないようで、もう20年くらいそっち方面の者に会っていない。
母方はプロテスタントの家で、法事のような行事はないから、親戚一同が会して墓参りをするようなことは稀である。
おれは、クルマの運転が好きで、マイカーを手放してからも、たまにトヨタレンタリースでビッツを借り、行き先を決めているわけではなかったから、ま、墓参でもしようと母親の墓がある富士霊園に行った。
でも、気がつけば、おれは10年以上クルマを運転しいていない。
その間は弟のクルマや小金持ちの縁戚がチャーターしたタクシーで御殿場インターまで生き246号線で霊園に行ったが、法事ではないから頻度は少ないっすな。
というか、自分が入れる墓があることを、いま改めて思い出し、少し安心しましたな。
葬儀不要の旨の遺言を書いて、骨を焼くくらいの金を残せば、あとはなんとかなるような気がしています。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。