MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

はたから見れば、道楽に見えるでせう。

土曜日。

ここを、既に更新したものだと思いこんでいて、今見たらされていません。

もう眠剤を服用して2時間が経つし、脳がうごかないと思うけれど、とりあえずは何か記します。

 

ギブソンを衝動買いして以来、マーチンには触らなくなってしまった。

だから、弦を少し緩めた。

ギターは、弾かないで弦を張りっぱなしにしておくと、ネックが反る、というのはここ最近の常識で、おれがギター道楽していたころには、楽器店のおにいさんたちは、

「弾き終わったら緩めることを奨励します」

といっていた。

おれはそれを受け入れずに張りっぱなしにして、やはりネックは反った。

まー、楽器店に持っていき、調整してもらい、数千円払えば済む程度の反りであったが。

ところで、クリマと釣りとギターが、おれの3大道楽であったが、クルマ所有をやめて、釣行もできなくなった。

それが25年くらい前で、いま書いていて、

「ギター道楽、まだしてるじゃん」

と気がついた。

ギブソンアコギ、マーチンアコギ、フェンダーストラトキャスター、フラートーンテレキャスターの4本が狭い部屋にある。

でも、ギターを道楽だと思ったことは、じつはない。

14~15歳の頃に、吉田拓郎がメジャーシーンに出てきて、同世代の1/3の男子はアコギを買ったような感覚を、おれは持った。

当時はアコギなんて語はなく「フォークギター」と呼ばれていた。

せーの、で始めて、おれは上達が早かった。

つまり、他者との比較の問題で、上達し続けることで、自分の居場所を確保しいていたようなことろがある。

途中から解ったが、芸事には終着点はなく、3日サボると現状維持もできなくなる。

特に楽器は手を使うので、得た技術を維持するためには、毎日弾くことが地味だが早道である。

おれが思う技術とは、小難しい名前のついたコードを押さえることでも、クラッシクギター奏者のトレモロ奏法的なものでもない、シンプルなコードを良い音で奏でることで、具体的には右手の親指、人差し指、中指の弦への微妙なタッチ感で、こういうところは毎日弾いていないと「良い音」がどういうものか解らないと思う。

あー、眠くなってきた。

上述能書きは、アコギでの話で、エレキはでかいマーシャルのアンプを手に入れたとしても、住宅事情その他で満足な音量で鳴らせないし、エフェクトのかかり具合も千差万別で、

「あいうふうに弾きたい」

と思っても不可能だったから、モチベーションが上がらず、おれの技術は20歳のころに身に着けたもので、以降はそれを維持するために弾いている。

ある意味、無限地獄的である。

昨今はレンタルスタジオもあちこちにあり、いまのギターキッズはおれがしたくても出来なかったことが出来ているのでせうな。

 

ここまで。

明日も書きます。