MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

長い付き合いの者の愛猫が逝きました。

 水曜日。
定休日。

40年来付き合いの者の飼い猫が、治る見込みがない衰弱で、安楽死した。
彼女はペットなしの家庭で育ち、その猫が初めてのペットで、猫は12歳と5か月だったそうな。
いまの家猫寿命から鑑みて、少し早かったかな。
会うた度に、ガラ携やスマホの待ち受け画面、写真フォルダでその猫を見たが、いつも満ち足りた表情であった。
愛されている猫であることは、表情からうかがえた。

 

ところで、おれが育った家庭は、おれがひとり住まいになるまで、大げさでなく20回以上引っ越しをした。
東京、埼玉、千葉。
そういう家庭だったが、犬や猫はいつもいた。
引っ越す度に、犬は近所の家にもらわれたり、猫は飼いやすいから、引越し先に連れて行くこともあったが、新居が気に食わないのか、いなくなってしまう個体も複数いた。
今考えれば、もらわれた犬たちは、金品も絡んだとおれは推測します。
そうでなければ、雑種の成犬を貰い受ける家などはないだろうから。
中学生のころ、戸建ての家からマンションに移った際、家族にしか懐かなかった犬をベランダで飼った。
貧弱な雄犬で、無駄吠えをした。
住所は渋谷区代々木で、マンションのベランダで吠える犬に寛容な地域ではなかった。
おれは、転校先の中学で、人間関係を形成するのが大変だったことを覚えている。
ラジオ番組にハガキを送るようなことはしない中学生だったが、何の気なしに送ったFM東京の洋楽を流す番組で、おれのハガキが読まれた。
放送局にハガキをだしたのは、あとにもさきにもその時だけ。
「また転校です。人間関係をつくるのが面倒です」
その番組で読まれると、レコード会社から放送局に行った試聴版のレコードがもらえるらしいことは、噂で聞いていた。
試聴版は来た。
シングルレコードが5枚くらい。
すべてを憶えていないが、ツエッペリンの『移民の歌』があった。

ある日、学校から帰ると、ベランダに犬がいない。
母親に訊くと、お肉屋さんで1番いい肉をあげた、保健所の人は全然苦しまないといっていた、みたいなことをいった。
そういうことか。
おれは、ことの成り行きを知ったが、引っ越しばかりなのになぜペットを飼うのかが理解できなかった。
それ以前に、尋常でない回数の引っ越しの理由が分からなかった。
「なんで?」
と訊いたこともあったが、
「子供が口をはさむ話じゃない」
といわれた。
家のことは、母親が仕切っていた。
父親は実直なサラリーマンで、6人兄弟の末っ子であった。
母親は、女ばかりの6人姉妹の長女であった。
母親が高校生のころに、祖父は癌で死んだそうだ。
それまでは、お手伝いさんというか姉やというか、そういう者がいる家であったそうな。
そのころの暮らしを取り戻したくて、不動産を転がしていたのかな、とは今になって思うことである。
父親の勤め先は業界では誰も知る建築資材メーカーで、慎ましく暮らすことはできたはずだが、母親はそれを良しとしなかったのだろう。
あの、度重なる引っ越し騒ぎを、そんなふうに捉えていたが、ここ数年、発達障害、という言葉を目にしたり聞いたりすることが多くなり、ネットで検索してみると、様々な症状があり、おや? この症例は母親とそっくりだぞ、と思ったり、この症例はまるでおれじゃんか、と思ったりする。
上記マンションまでは、高度成長の波に乗り、なんとか転がしてきたが、以降の家屋は引っ越す度にみすぼらしくなっていった。
そして、子犬や子猫を見ると、前後の見境なくもらってきてしまう。
変である。
根本的なところでおかしい。
母親はある種の狂人で、おれにもその血が流れているから、十代の中頃から、自分が家庭を持つことはないだろうと思ってきたが、実際にそうなった。


おやおや。
話が大幅にそれた。
今日の項は、長い付き合いの者の愛猫が逝って、それを追悼するつもりで書き出したのだが。
全然追悼になっていない。
逝った猫の愛称はうめちゃん。
写真でしか会っていないが、逝く直前の表情も満ち足りていた。
おれが育った家に来た猫や犬のことも去来してきて、こんなふうになってしまった。
母親は50代半ばで癌にかかり死んだ。
母親の終の棲家になった家では、キジトラの雄猫と紀州犬のつがいがいた。
そのことを掌編小説に書いて、『犬の家・猫の家』とタイトルをつけた。
いつもこの日記をツイッターで「いいね&リツイート」してくれる者から、
「つくりこみが過ぎていて、うまく纏まりすぎ」
的な評をもらったが、あの話は紀州犬がつがいでないこと以外はほぼ事実である。

ではでは。
ここまで。
うめちゃんは、天国があるならば行けると思う。

明日も書きます。