金曜日。
週末ではなく、明日も作業所が開き、おれは通所します。
昨日は百恵ちゃんネタで何とかしのぎましたが、思春期のおれは麻丘めぐみ派でした。
アイドルのレコードを買ったのは、後にも先にも彼女のものだけでした。
正月にお年玉をもらい、昨日記したコタニでアルバムを買って、自室のステレオの針を落としたら、歌が始まるのではなく、
「こんにちは、麻丘めぐみです」
としゃべりだし、ぶったまげてボリュームを絞った記憶。
彼女は1曲ごとに何か囁いていて、小さな音量で聴きましたが、どんな曲だったのか、何をいったのかはまるで憶えていないっす。
引っ越しばかりの家庭で、どこに住んでいたのかもうる憶えなのだが、部屋のレイアウトはぼんやり憶えていて、昨日の項に記した『イマジン』や『ツェッペリンⅣ』、吉田拓郎『元気です』などがレコード用のラックに立て掛けてありました。
思い出すと、散り々になたビートルたちでは、アルバムを買ったのはレノンだけでしたな。
『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』『心の壁、愛の橋』も持っていた。
ひとりになったマッカートニーを買うことはなかったのに、いま、マッカートニーに肩入れするのはなぜだろう。
あのバンドは、ざっくり分けると前期と後期で、おれはギターの音が歪み(ひずみ)だした後期をよく聴きました。
更にざっくりいうと、前期はレノンのバンドで、後期はマッカートニーのバンドだった印象。
『ホワイトアルバム』『アビーロード』におけるマッカートニーの仕事は比類なき高みに達していると思っているのだが、人々は何かあるといつも必ずとっていい頻度で『イマジン』を流し、何かが収まるべきところに収まったが如くカタルシスに浸っている。
マッカートニーをないがしろにするな。
と義憤のようなものを感じているのでせうな。
映画『キリング・フィールド』では、おれも『イマジン』にやられましたけれど。
しかし、ソングライターとして、ボーカリストとして、ベーシストとして、ギタリストとして、マッカートニーはずば抜けています。
同時代に生きている奇跡に感謝しています。
マジで。
嗚呼、それなのに、おれはレノンのアルバムしか買わなかった。
悔恨のような思いもあるのでせうな。
ここまで。
明日も書きます。
ということで、今夜は『ブラックバード』を弾いて歌うポール・マッカートニーを。
この奏法をコピーするのは易いけれど、創ったことへの偉大さを噛みしめよう。