MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

そして、陽性を喰らいました。

土曜日。

昨日の項で、作業所が開所するので通所すると書きましたが、思わぬ展開に。

昨晩は眠剤を服用してベッドに入ったのが日付が変わる頃。

なかなか寝付けず顔が火照る気がしたので、起きて検温すると37度4分。

パソコンを立ち上げ、休日でも24時間電話が可能な相談センター的なところにかけてみました。

住所と氏名を申告すると、

「ご近所で明日の朝にかかれる発熱外来をお教えします」

との応対。

「いまじゃないの?」

「規定で37度5分からになります」

「では少し待ってくれますか? いま1度検温します」

再検温。

「37度8分なんですけど。たぶんすぐに38度になりそうですが?」

「あー、それでしたら救急車を呼ばれた方が良いです」

で、119番にかけて救急車は来ました。

来ましたが、緊急隊員さんたちは何とかおれを部屋に追い返そうとあれこれいいます。

「いや、こっちは緊急の電話のひとが、救急車を、というので、そうしたのですが。手順を踏んでこの状況ですが」

といっても

「彼らは我々の実態を知りませんから」

などと。

おれはもっと知らねーよ。

救急車に乗ったのは午前1時半ころだったかな。

おれの地域からかなり離れたところで、やっと受け入れ先緊急外来が見つかり、病院に到着したのは3時半ごろでした。

救急隊員さんは病院に向かう車内で

「抗原検査をして、陰性でも陽性でも自力で帰宅してもらうことに」

と。

「要するにタクシーですよね」

「病院によっては陽性だった場合、介護タクシーしか使えないこともあります」

などともいいましたな。

病院で対応してくれたのは青い防護服姿のインターンと思しき女性。

「抗原検査だけでなくPCR検査もしてほしいのですが」

「結果が判るまで1時間以上かかります」

「待ちます」

そして、PCR陽性を喰らいました。

頓服の解熱薬と咳止めを出してくれましたが、タクシーの件を確認すると、

「普通のタクシーでお帰りください」

とのこと。

スマホでタクシーを呼び、待っている間、解熱薬を服用しましたが、帰宅してから何度か検温すると、36度4分~37度4分ほどで、まー、効いてはいるようです。

咳止めはまるで効きません。

 

さて、これから1週間~10日ほど隔離的に部屋にこもることになります。

食事のための買い物はOKだそうです。

が、食欲がまるでありません。

スーパーで買った安いバナナを食べてみましたが、味があるか否かはよく判らず。

すぐに腹を下してしまいました。

腹下しは、過敏性腸症候群、という病によるものなのか陽性だからかは不明。

 

ここまで。

明日も書きます。

いま検温すると、38度ジャスト。

解熱薬を飲んで様子を見ます。

 

今夜の1曲。

ジェフ・ベックビートルズカバー『シーズ・ア・ウーマン』。

1975年のライブ音源だから、あまり良い音で録れていません。

 


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マッカートニーはフィル・スペクターによるこのフルオーケストラ的なアレンジが好きではないようです。

金曜日。

でも週末ではなし。

明日も作業所は開所し、おれは通所します。

今週は定休の水曜日も通所したので、ちょっと疲れています。

今朝も目覚めて身体を伸ばした際にふくらはぎが攣って、慌ててベッドから出ました。

ガッツリの攣りではなかったので、痛みはそれほどではありませんでした。

寒くないので「おや?」と。

エアコンを点けたまま眠ったようです。

電気代やガス代が半端なく上がるようだから、気をつけなければ。

スーパーで買うものも高くなってきていますね。

お昼のお弁当やバナナ、玉ねぎ、豚こま、などが。

 

さて、リペアに出ているマーチンD-28がまだ返ってきません。

楽器店が示した納期は1月末までだから、あと2週間以上あるのですが。

いま手元にあるのは2本で、共にマホガニー仕様。

ローズウッド仕様のD-28を早く弾きたいっす。

 

あとは特になし。

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

THE BEATLES『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』。

マッカートニーはフィル・スペクターによるこのフルオーケストラ的なアレンジが好きではないようです。

14~15歳の頃にアルバム『レット・イット・ビー』を聴いて、こういものだと思っていたから、え? そうなの? と。

 


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キャリアの早くから名声を得て、熟した頃「奴こそが最高!」と謳われるさなかに、ピック弾きから指弾きに変えた弾き手でした。

木曜日。

作業所でのお昼休みに、スマホでヤフーニュースのヘッドラインを見て、ジェフ・ベックが亡くなったことを知りました。

日本では「3大ギタリスト」のひとりでしたが、エリック・クラプトンはブルースブレイカーズで『ハイダウェイ』を20歳そこそこで弾き、以降ギタリストとしては隠居したし、ジミー・ペイジは多重録音にて真価を発揮するひとで、おれが聴いた限りでは、3ピースでのツェッペリンオンステージはショボかったっすな。

ジェフ・ベックだけが延々と現役感がある弾き手でした。

キャリアの早くから名声を得て、熟した頃「奴こそが最高!」と謳われるさなかに、ピック弾きから指弾きに変えた弾き手でした。

とても勇気のいる決断、とおれは思ったのものです。

いまでは当たりまえになっているいろんな国の複数バンドが一同に会す「フェス」は、1975年のワールドロックフェスティバルが最初だったはず。

おれは後楽園球場に観に行きました。

ライブは好きではなかったけれど、ジェフ・ベックが来るから。

ジョー中山、カルメン・マキ&OZ、ニューヨーク・ドールズ四人囃子なども出ました。

赤いスーツの内田裕也がMCで、おれは当時からあのひとが嫌いでしたが、彼はロンドンにまで飛んでジェフ・ベックに出演交渉をしたという逸話もあります。

ギターインストアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』がリリースされたころで、ベックの演目もそこからの楽曲が多かった。

以前にも記した記憶がありますが、ベックの次の演者がカルメン・マキ&OZで、

マキはメンバー紹介時「プレッシャーのかかるなか、ジェフ・ベックの次に弾いたうちのギタリストに拍手を!」的な、デリカシーに欠ける発言をして、おれを萎えさせました。

 

ひとは遅かれ早かれ死ぬし、死後の世界はない方が良い、と考えるおれは冥福を祈ったりはしません。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

ジェフ・ベック『グリーン・スリーブス』。

 


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ビートルズ『And Your Bird Can Sing』をAmir Darziのふたりがカバーしています。

水曜日。

本来であれば定休日ですが、ずっとお休みばかりだったので作業所に通所しました。

明日も明後日も通所し、今週は土曜も開所予定です。

 

昨日はアラビアンナイトについて書きましたが、子供の頃の記憶でギリシャ神話とチャンポンになっています。

ネットウイルスで有名な「トロイの木馬」のお話をアラビアンナイトで読んだ記憶があるのですが、ググってみるとギリシャ神話で、あー、そっちだったかと。

幼児が読める童話全集のなかにアラビアンナイトギリシャ神話もあったのでせう。

アンデルセンとかグリムとかペローとかもありました。

西遊記もトム・ソーヤーも。

ひろすけ童話というのもありましたな。

浜田広介の『泣いた赤鬼』は、いま考えてみると、とても良くできたお話だと思います。

イソップやオー・ヘンリーにも通じる分かりやすさと説得力。

そういえば、西洋圏のホテルにはたいてい聖書があり、アメリカだとオー・ヘンリーが置いてあることもありましたな。

オー・ヘンリーで思い出すのは、対象的な作風のサキ。

ぐぐると、サキはイギリスのひとなんですね。

 

などと、連想は続きますが、キーボードを打つのがかったるいので、ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

ビートルズ『And Your Bird Can Sing』をAmir Darziのふたりがカバーしています。

 


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ターバンを巻いたあの少年も後付け設定だったのですね。

火曜日。

年末年始に1週間休んで、5日から作業所に2日通所してまた3日間お休みだったので、なんだか延々と休暇の気分。

明日は定休日ですが、そういう塩梅だから通所します。

 

しかし、ここで何度も書いていますが、便利な世の中になったものです。

イスラム教徒とアラブ人はイコールではないとか、なんとなくそうかな、とは思っていましたが、いまは出先でもスマホでググればクリアになります。

IT時代以前であれば図書館案件で、調べに行っても図書館に検索機などはなく、引き出しを開けてすげー量のカードから目的の資料を探すのが大変でしたな。

思い出せば、ツアコンをしていた頃に行ったインドネシアとかマレーシアにはモスクがあったし、彼の地のイスラム教徒はアラブ人ではないしね。

あと、イランとイラクの違いも漠然としか知らなかったけれど、むかし、イランはペルシャイラクバビロニアだったとか、最近ググって知りましたな。

イランはアラブではないとかも。

でも、幼児の頃に読んだアラビアンナイトには、空飛ぶ絨毯に乗るアラジン、魔法のランプとかも出てきて、おや? と。

絨毯はペルシャが有名だしペルシャはアラブじゃないらしいし。

いまググったら「アラビアン・ナイト」はフランス語に訳された際に後付けされたタイトルで、原題は「千夜一夜物語」(それくらいは知ってるぞ。w)。

でもお話は300くらいしかなくて、1001話にするためいろいろ付け足したとか。

初期のアラビアンナイトでは、アラジンはチャイニーズ設定だったらしいっす。

これは今日初めて知りました。

ターバンを巻いたあの少年も後付け設定だったのですね。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

Dire Straits『Sultans Of Swing 』。

Sultan はイスラー厶の偉い人の称号で、この曲では小さなハコで演奏する凄腕のジャズマンのメタファーです。

デカいハコでロックを演る自分たちを卑下しているようにも思えます。

 


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読み返してみると、助詞とか副詞の使い方が拙くて手直しレベルです。 面倒だからしませんけどね。

月曜日。

成人の日で休日。

3本のアコースティックギターのうち、1本はリペアに出ていて、今月下旬までに戻ってくる予定です。

いまある2本はマーチンとギブソンで、マーチンの弦を張り替えました。

SAVAREZのフォッスファーブロンズ弦をブロンズ弦に。

フォスファーブロンズはリンが入って、音色がキラっとしますが、ブロンズに張り替えても大した違いはないと感じます。

落ち着いた音色で、弾いているうちに慣れるでせう。

そもそもマーチンのギターはキラッと鳴るし、比べて少し安価なブロンズ弦で充分です。

 

さて、昨日の項で20年くらいまえに書いた小説『和解』を貼り付けましたが、読み返してみると、助詞とか副詞の使い方が拙くて手直しレベルです。

面倒だからしませんけどね。

 

などと手短にここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

チェス・イーグルンソン名義でエルトン・ジョン『ユア・ソング』をデュエットでカバー。

アクセス497で市井のひとたち? と思っていたら497万回でした。

宅録でこのアコギの音は素晴らしいっすね。

イコライザーとかコンプレッサー、少しのリバーブなど、エフェクトがかかっているのかもしれませんが、好きな音色です。

 


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コンペの成績が芳しくなかったことは憶えています。

日曜日。

休日。

明日も休日で成人の日だそうです。

1月15日ではなくなったのですね。

おれには成人式の案内状は届きませんでした。

引っ越しが多い家だったからでせう。

弟が式典に出席したのか、記念品の銀色に装丁された国語辞典を持っていました。

どこの区だか市だかはまるで思い出せません。

あー、書きながら思い出したけれど、その銀色の辞書をアイテムに使った短い小説を書いたことがあります。

2が付く匿名掲示板創作文芸板の自主コンペに上げたもので、お題が「成人式」だったと記憶しています。

おれにしては珍しく、お話を創りました。

コンペの成績が芳しくなかったことは憶えています。

今日は下記にそれを貼って、この項を終わります。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

「和解」

 えんじ色の椅子が整然と備え付けられた区民会館の端の席に、太一はめったに袖を通さない濃紺のスーツを着けて座っている。成人式らしく客席にはあでやかな色の和服を着付けた同世代の娘たちも目につく。館内禁煙とそこら方々に掲示してあるが、太一が座る椅子の座面には煙草の火が落ちてできたような穴があいていた。
 壇上では正装した要人と思しき男が演説している。演説するのは壇上の一人だけではない。三人の壮年の男が、舞台の隅に並べられたパイプ椅子に座って各自が演説する順番を待っている。皆似たような燕尾服姿で左の胸には花をかたどった紅白の徽章をつけている。
 最後の一人が司会者に紹介され壇上に向うと、太一はトイレに行くふうを装い、そのまま会場の外に出た。会場と正門を結ぶ通路に沿って植えられた銀杏並木はすっかり冬枯れし、枝に停まった鴉が時おり鳴いている。その通路の正門寄りの処に仮設のテントが設置されている。ねずみ色のテントの下に長机が寄せられ、その上に細かい花模様の包装紙で包まれた四角いものが山積みにされている。そこには既に人の列が出来ていた。付近には太一の知った顔もちらほら見える。中学のときの同級だった者、同じ高校へ進学した者。そのうちの何人が太一に気がついたのかは不明だが、太一に話しかけてきたのはしげるだけだった。
「よう太一、久しぶりだな。元気にしてるのか?」
「ああ、それなりにね」
 そう応えてみたが、太一は顔がひきつるのを自覚した。しげるはそんな太一の様子を訝しげに観察していたが、二言三言おざなりな慣用句を繋げるとどこかへ行ってしまった。  
 しげるは太一の数少ない友達の一人だった。二人は同じ中学から同じ高校に進んだ。高校に進んですぐ、太一はひょんなことからいじめの標的にされた。そうなるとしげるは太一によそよそしい態度をとるようになった。いじめは執拗に繰り返され、太一は高校一年の夏休みが明けても登校しなくなり、そのまま退学した。それ以来二人は疎遠になった。
 太一は一張羅の内ポケットから案内状をだしてテントの列に加わった。長机に山積されたものは出席者への記念品だった。案内状は記念品の引換券を兼ねていた。

 数日後の夕刻、太一は中村に指定された駅前の居酒屋に赴いた。中村は太一がアルバイトに通う惣菜屋の店長である。店に入ると中村は既にカウンターの端の席に座っていた。殆ど減ってないビールのジョッキとお通しの小鉢がぽつんカウンターの上に置かれている。
 太一は中村の隣に座りずっしりと重い記念品を中村に手渡した。
「はい店長、これで良いですよね?」
「ああ、恩に着る。約束通りに今夜は俺が奢るよ。新成人、なんでも食って飲んでくれ」
「では遠慮なく」
 太一はカウンターに立てかけてあったお品書きを覗きこんだ。
 カウンターには皿からはみ出すほど大きなホッケの干物やジャーマンポテトや粗引きソーセージを盛り合わせたものなどが運ばれ、太一の手には生ビールのジョッキが握られている。あまり酒に強くない中村は最初のジョッキが空になると、既に酔いがまわったのか、記念品のラッピングを剥がしそれを目の前にかざして満足気な様子だ。中村には妙なものを収集する趣味がある。太一には、表紙が銀色に装丁され「成人式記念、某区」のロゴが入ったこの国語辞典のどこに魅力があるのかさっぱり分らなかったが、とにかくそれは欲しい者の手に渡り、そのおかげで太一は酒を飲んでいる。
 日付が変わるころ、太一は帰宅した。鍵を使って玄関扉を開け、居間には寄らずに二階の自室に上がろうとすると、居間の扉が開き母親が顔を出した。
「遅くなるなら電話くらいはしなさいよ」
 太一は母親の険のある声を背中で聴きながら「ああ」と生返事を返し、階段を小走りで上がってゆく。
 暖房で部屋が暖まったころ、扉の外で猫が鳴いたので開けてやった。猫はベッドに座る太一の足もとに身体を摺り寄せしきりに鳴いている。
「おい、どうしたんだ?」
 太一は猫を抱き取り目の高さまで上げて顔を近づけた。猫の瞳に太一の顔が映るほど近づけても猫は鳴いている。
 太一はベッドにあお向けの姿勢で横になり猫を胸のうえにのせた。猫は思いだしたように時おり鳴いたが、酒に酔っていた太一はその状態のまま眠ってしまった。

 太一は幼いころ身体が弱かった。医師からは小児喘息と診断されていた。小学二年のとき、微熱が下がらず、正月空けからの学期をまるまる休んでしまった。時おり発作を起こして病院に運び込まれた。喘息の発作は実に理不尽なものだった。呼吸のための管である気管支の粘膜が腫れ、酸素が取り込み難い。息をする度に狭まった気管支からひゅんひゅんと笛を吹くような音がした。
 ある日、母方の祖母が病弱で滅多に外で遊べない太一を不憫に思い、近所で生まれた仔猫を貰って持ってきた。太一が祖母から仔猫を抱き取ると、柔らかな感触と温かみが太一の両腕に伝わり、その小動物の意外な重みは、太一の心を慰めた。仔猫は太一によく懐いた。太一がトイレに行くと付いてきて、出てくるまで扉の前で待った。時おり蝉やバッタを捕まえてきて太一のまえにぽとりと落とした。
 ある日、酷い発作が太一を襲った。そのときは病院に運ばれたまま入院し、太一は数日間生死の境を彷徨った。呼吸器をつけたままの状態で意識が遠のいては戻る。その繰り返しのさなかに太一は同じ夢を見つづけた。
 ススキと泡立ち草が繁る野原の真ん中に駅がある。その駅のプラットホームにぽつんと一人で立っている。列車が着いて扉が開く。列車に乗りこみ空席に座る。すると車掌がやってきて切符を見せろと言う。車掌の顔は祖母が貰ってきた猫である。切符はないと応えると次の駅で降りろと言う。仕方がないので降りる。降りるとそこはやはり雑草が生い茂る野原で、真っ直ぐに伸びた一本道をてくてく歩く。どこかへ帰るようなつもりになって歩いて行く。そして目が覚めると医師の難しい表情と怯えたような母親の顔がある。
 本を読む習慣が付き始めていた太一は、あれは銀河鉄道に乗った太一を猫が引きとめたのだと考えた。あのまま乗車していたら、きっとカムパネルラのように死んでしまっていたはずだった。

 夜半に目を覚ました太一は、部屋の空気が重く粘っているいるように感じた。酔いが醒めて少し喉が渇いている。冷蔵庫で冷えているウーロン茶を飲みに階下のキッチンへ下りようとすると、掛け布団の下から猫がもぞもぞ這いだしてきた。
「太一、成人おめでとう」
「?」
「むかしは身体が弱かったけど、最近は病気しなくなって良かったじゃないか」
「!」
「なんだよ、忘れちゃったの? 昔はよくこうして話しをしたんだよ?」
「え? そうだったけか?」
 太一はおかしな夢を見ているとは思ったが、不快ではなかった。幼いころは確かに現実と夢想との境目がはっきりしなかった。病臥したベッドはアラビアンナイトの魔法の絨毯になったし、ベッドから見上げる天井の木目は動物や怪獣の輪郭に変化した。
「太一、意地っ張りなところは直そうよ」
 猫はしげるのことを言っているのだった。
 太一は少ない友人のなかで、しげるを最も慕っていた。だから太一がいじめられると急によそよそしい態度をとったしげるを当初太一は恨んだ。しかし、もしも立場が逆だったとしたら、おそらく太一はしげると同じことをしていたと今は思っている。いじめに遭っている者に味方するのは実に危険なことで、自ら次の標的になりにゆくようなものなのだ。
 しかしもう遅かった。せっかく和解の機会が訪れたのに、太一は顔をひきつらせながらふいにしてしまった。

 「太一、お客さんが来てるぞ」
 店長の中村が休憩室で煙草を吸っている太一を呼びにきた。太一が店に戻るとトンカツやエビフライの並ぶガラスケースの向こう側にしげるがはにかんだような笑顔を浮かべて立っていた。
「おふくろさんに訊いてきたんだ。迷惑でなければ少し話したい」
 太一は店長に向き直り
「店長、きょうは俺、どうしても早退したいんですけど」
 中村はニヤリと笑い
「よし、その代わり明日は早番だからな」

 その夜、太一はまたしても酩酊して日付の変わりそうな時刻に帰宅した。鍵は使わずに呼び鈴を押した。玄関扉を開けた母親が言った。
「昼間、しげるくんが訪ねて来てくれたのよ」
「ああ、いままでいっしょだったんだ」
 猫が欠伸をしながら居間からでてきた。太一はダウンジャケットのポケットから居酒屋で余ったイカゲソを詰めてもらったビニール袋をだして猫の鼻先にぶら下げた。
 猫は鼻をひくひく動かしてその匂いをかいだ。

                    <了>

 

 

今夜の1曲。

吉田拓郎『親切』。

 


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