土曜日。
休日。
10時過ぎにスーパーへ買い出し。
豚コマ、ソテーに出来る豚、タイ産鶏、などを買いました。
夕方を過ぎてポークソテーをつくりましたが、火を入れ過ぎました。
味付けは塩コショウと料理酒のみ。
美味しいけれどかたい肉を咀嚼しながら、次はふわっとしたチキンソテーをつくろうと。
さて、いつもギターのことばかり記しているので、今日は文芸作品について。
クルマを持っていた頃、運転しながら宮沢賢治の詩集や童話の朗読を聴いていた時期がありました。
詩はいくつか未読だったので、新鮮な感じがしましたな。
「あめゆじゆとてちてけんじや」
あ~、これは朗読を聴く方が良いかも、とか想いながら。
童話はどれも子供の頃に読んだものでした。
そのひとつに『よだかの星』がありました。
宮沢賢治を聖人のように言う人は多いけれど、聖人に『よだかの星』が書けるのかな。
あの解りやすさは企まないと無理でせう。
読む者を想定して書かれたものだとおれは想います。
ぶっちゃければ、24時間テレビに無条件で感動してしまうような人々に向けて。
読者想定は、職業作家ではなくてもします。
何故ならおれもするから。
閑話休題。
大人になって、仕事が出来る先輩や上司、起業して成功した人などは、情操的にも優れているのだろうな~、と想っていたのですが、酒席で語り合うと、彼らの多くは幼児のようでした。
族議員が捕まると、先生は我々のために犠牲になった、的なこと言いながら涙する起業家がいたり。
さて、面倒なので、あれこれ能書きを垂れずに結論を述べてみます。
人生を渡って行くためには、情操、などはむしろ邪魔、ということ。
個々のキャパシティには限りがあり、情操が在る者には、その分欠けている何かがあり、それが世での浮き沈みの別れ道になることが多いように想います。
などと、自分には情操が在る、という立場でイキってみました。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲、ではなく1話。
『よだかの星』。
ナレーターは窪田等という人。