水曜日。
定休日。
午前中に買い物を済ませ、部屋にこもった。
今日の東京の感染者は500人を越えたが、緊急事態宣言は解かれるようです。
オリンピック、やるみたいっすね。
夕方にここの更新ネタを思いつき、忘れないようにメモ帳に記した。
「デヴィ夫人」と。
彼女はアラウンド80のはずだが、テレビのバラエティー番組で、ピンクのつなぎを着て、出川ガールズと共演し、ロケで頑張っている。
出川ガールズとデヴィ夫人を同じ画面で見ると、デヴィ夫人の顔のでかさがすげー強調される。
出川ガールズは、顔も小さく手足も長い。
総じて、いまの年若いタレントさんは出川ガールズ的で、たったの50~60年で体型も随分変わるのですね。
むかしの役者さんも、顔が大きかった。
食生活が西欧化したことと、畳に座布団で正座したり和式トイレにしゃがまなくなったことくらいしか理由が思いつかないのですが。
昨日の項でも少し書いたけれど、おれは「第3の新人」が現役の頃、中学とか高校に通っていて、彼等の作を読んでいた。
デヴィ夫人を見る度に思い出すのだが、カソリック信者の遠藤周作は、
「彼女は政治/外交の犠牲者である。私の文学は彼女のような人のためにある」
というようなこと書いていて、そういうものか、と思っていた。
同じ時期に吉行淳之介の短編『美女哄笑』を読んだが、銀座のホステスさんたちが2匹目のドジョウを狙う様子を、ユーモラスに書いていた。
信仰というものは、時として思考を停止させることがあるように思う。
いまのデヴィ夫人を見るに、遠藤の見立てが当たっているようには思えない。
吉行の短編にリアリティを感じる、と書くと、いや、もしかすると、夫人はいろいろなことをむねの奥にしまい込んでタレントさんをやっているのかもしれないとも思う。
上野千鶴子からすげーダメ出しを食らったのは吉行淳之介と永井荷風だが、ともに娼婦との情交を描きましたな。
『濹東綺譚』は、ラストのイミフなポエム以外は素晴らしい出来だと思うし、『娼婦の部屋』は濹東綺譚を読んだにちがいない者の作だと思うが、上野女史含むうるさ型女性数人の対談で、
「吉行の性描写はまるで女のことが解っていない者が書いた如くリアリティがない」
とか、けちょんけちょんでしたな。
さて、ネタをメモったわりにはあっさり終わってしまった。
ここまで。
明日も書きます。
今夜も選曲にまよう。
昨日に続き、アコギがきれいに聴こえる楽曲を選ぼう。
ビートルズ、というかジョージ・ハリスン『ヒア・カムズ・ザ・サン』を。
これも小僧の頃に耳コピして、レッスン動画を見たらほぼ合っていた。