火曜日。
作業所の仕事は朝一から夕方まで同じものでした。
ひとつ0.6円単価の、最も効率が良くない仕事で、おれが今日こなした数量は900。
夕方には手指の関節がカクカクしました。
それでも売上は540円。
それはさておき、先月の工賃は15000円を越えた。
塵も積もればなんとやらで、生保受給者のおれの収入上限は15000円で、越えた分はカットされるが、まーいいです。
さて、帰宅してポストを確認すると、市役所から封書が。
開封するとワクチン接種券で、今月22日から予約開始と書いてあった。
思っていたよりずっと早かった。
狛江市は小さい行政区で、小回りがきくのかもしれない。
行きつけの居酒屋をネットで見たら、ちょっと前までは赤い字で臨時休業と書いてあったが、いまは16時から営業しているようです。
お酒を出さない居酒屋には行かないが、行くと飲めたりするのかもしれない。
明日は定休日だから、仕事終わりに電話してみようと思っていたが、その時間になると忘れてしまった。
原田マハ『ジヴェルニーの食卓』を読み始める。
マハはゴヤの画題。
短編が4つ入った文庫本で、その中のひとつに『タンギー爺さん』というタイトルもあるから、画家について書かれたものであることは分かっていた。
読み初めの作はマティスを扱っています。
女子の一人称語りで、ヘンな感じはしない。
むしろ良い読書になる予感。
マティスは絵を描き始めたのが21歳だそうで、それを知ったとき、えー? 遅くね? と反射的に思ったが、世の中には例外はあり、マティスもそういう類いなのだろう。
おれが絵を見始めたころ、ピカソとマティスは東西の横綱的な位置にいました。
ピカソは幼児の頃から大人が描くような画風だったそうです。
芸術家が世相に腹を立て、その思いを表現するのはよくあるが、そういうのって、芸術作品としては、志が低くありませんか? と思うのである。
反戦とか、表現しやすいし、食いつく者も多いだろうし。
信仰や思想、哲学に沿った文芸作品にも、似た感じを抱きます。
10代の頃に、第3の新人、が現役バリバリで、彼等の作風は、文学史的に「小さい」ことが特徴であることをあとから知ったが、10代に刷り込まれたことは、その後の人生にも影響するようで、おれは「小さな」小説を好む傾向にあります。
第3の新人には、阿川弘之や遠藤周作もいて、題材は小さくなかった気がするが、吉行淳之介や安岡章太郎は小さなことを書くことにこだわっていたと思います。
井伏や百閒もそういう作家だったと。
それらを愛読したからか、ドストよりチェーホフだったし、春樹訳のレイモンド・カーヴァーとか、とても良いと思いましたな。
解説は落合博満。
そっちが気になって、今日はこれ以上続きません。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の選曲はS&G『ボクサー』にしよう。
十代の頃にあのイントロを耳コピしたが、ナイロン弦ギターの2カポでAのポジションで弾かれていると思ったていたのだが、You Tubeでレッスン動画を見ると、フォームはCで、アルフィー坂崎もCで弾いていた。
いま探した動画では、ポール・サイモンは2カポでCのフォーム。
キーはオリジナルと違っているようです。
すげー苦労したおれの耳コピは何だったのだろう。