MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

竹田の子守唄。

水曜日。
定休日。
昨日の天気予報の通り、暖かい日であった。
8時ごろからアコースティックギターをケースからだし、チューニング。
アコギは3弦が切れやすいから、おれは3弦だけゆるめない。
だから3弦Gの音を頼りにチューニングができて、エレキケースポケットのなかのチューナーをだす手間が省ける。
チューニングして、竹田の子守唄のギター譜をネットで探し、見つけて弾いてみる。
簡単である。
赤い鳥で有名な曲だが、おれはずっと九州の民謡だと思っていた。
今日知ったが、京都の民謡で、被差別部落に伝わるものであるらしい。
youtubeで検索すると、赤い鳥の他にもでてきて、10歳くらいの少女が赤ん坊を背負うモノクロ写真もいくつかあった。
「守りもいやがる、盆からさきは」
アタマのこのフレーズだけ記憶していたから、子守をする者が暑い夏をいやがる歌だとばかり思っていたが、ちがった。
放送禁止だったそうだが、歌詞を追ってどこに問題があるかわからなかったので調べてみると、「在所」という語がNGであるのだとか。
京都で在所というと、被差別部落を指すのだそうだ。
この歌を知っているということは、思春期の頃にラジオで聴いたことがあるからだろうが、おれが同和問題を知ったのは、10代後半のバイト先であった。
中小の建築関係で、昼飯時に当時人気があったテレビのクイズ番組の回答者であった大学教授を、おれが「面白い」と褒めたら、先輩があんなやつはなんちゃら言いだして、あの教授は差別的な発言をした、と言った。
なにそれ? とおれは訊き、初めて部落差別というものを知った。
当時は同和問題など学校では教えなかったから、当事者やその近辺の者しか知らなかったのだろう。
その先輩は、早稲田大学中退で、学生運動をやりすぎて中小の建築関係に身を隠すように働いていた。
部落問題など、寝耳に水であったおれは、図書館に行ってそっち関係の資料を読んでみた。
イニシャル表記ばかりで、びっくりした。
隠されると知りたくなるのが人情で、いろいろ調べたが、その方面の研究者の著作も場所や姓はイニシャル表記であった。
おれの最初の勤めは、外資損保セールスであったが、支店長は大阪の人で、飲みの席でその話をしようとしたおれは、
「あれはタブーで、人前で話すことではない」
とたしなめられた。
後年、支店長は、大阪のそういう地区は学校の校舎のつくりが贅沢で、クラスも担任と副担任がいる、と言っていた。
不服があるようだった。
おれがパソコンを持ったのは40のころだが、2ちゃんねるに行き着き、たくさんある板から、人権問題の板があることを知り、行ってみると、図書館などの公の資料ではイニシャルであった地名その他が書かれていて、長年の疑問が解消した気がした。
そういう書き込みは、すぐに削除された。
当時のおれはまだ中上健次を読んでいなかった。
藤村の破戒が、そういう地区の話であることは知っていたが、私淑している吉行淳之介が「浅いヒューマニズム」と書いていて、あれも読んでない。
橋のない川も遠い地の話で、読まないで今日に至る。
塩見鮮一郎著の『浅草弾左衛門』は、図書館で借りて全巻を読んだ。
わりと新しい報道で、福井の原発の贈収賄があったが、既に死亡しているキーマンは同和関係の者だとネットで知った。
知る限り、テレビでそのことは報道されていない。

話がそれたが、you tubeで竹田の子守唄の赤ん坊を背負う少女のモノクロ写真を見て、大好きな芥川龍之介の『蜜柑』を連想し、そのことを書こうとしたのだが、それはまたの機会に。

ではでは。
今日はここまで。
明日も書きます。