MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

ビートルズはオリジナルキーでないとダサい、との気持ちはいまも変わっていません。

月曜日。

週初めの作業所はいつもとちがう仕事が入りました。

けっこうな数量。

納期は明日。

おれの定休日は明後日だから、明日はキバリます。

 

さて、感染者が5千人台になりましたが、月曜日はいつも少ないし。

5千人が横ばいになったら居酒屋に行きたいっすね。

宅飲みを止めて1ヶ月以上が経ちますが、タバコを止めたときのような禁断症状がなくて体調も良いように思います。

出張掃除の仕事を月1でしますが、7月より8月が楽でした。

宅飲みを止めたこと以外に理由が思い浮かばないので、そういうことなんでせう。

止めた理由は込み入ったことが出来ないから。

飲みながら出来るのはネットとギターくらいなもので、小説を書くとなると、飲まない日を決めなくてはならず、決めた日にガッツリ書けるわけでもないし。

子供の時分から「ほぼほぼ」とか「たしなむ」ようなことが苦手で、何事もガッツリやるか全然やらないかのどちらかでしたな。

ちょっとやってみて、モノになりそうならガッツリやるのですが、そうでない場合は手を引いて触ることもありません。

ギターはモノになる気がして50年弾いていますが、歌うことを「ダメだ」と決めた因はビートルズっすね。

男子がビートルズナンバーをオリジナルキーより低いキーで歌うのはダサい、と思い早い段階であきらめました。

それはカラオケ以前のことで、歌わずとも人生を渡って来れたのですが、20歳前後の頃にアレが登場し、瞬く間に1億総歌手時代になって、歌わないことが「罪」のよう世の中になってしまいました。

『マイウエイ』や『昴』を朗々と歌うおっさんたちに嫌悪感を抱きながら逃げていましたが、ツアコンになると「挨拶代わりに1曲歌えや」的な展開になり、不本意ながら歌いましたな。

仕事で歌うのだから、ある意味プロっすね。w

ツアコンの成りたては国内旅行の添乗が多く、バス車内や温泉旅館の宴会場でカラオケの操作をしながら指名されました。

ムード歌謡的な楽曲『宗右衛門町ブルース』を持ちネタにしていましたな。

北海道だと『襟裳岬』だったり、九州だと『長崎は今日も雨だった』も歌った記憶があります。

保守的な建築関係の仕事のときは、先輩や上司より上手く歌うとあとで面倒なこともあったのですが、下手に歌うのも面倒でしたな。

さて、月日は過ぎて、最近はカーディガンズ『lovefool』を鼻歌混じりで弾いたりしています。

『Michelle』や『Yesterday』のキーを下げて鼻歌混じりに弾くこともありますが、ビートルズはオリジナルキーでないとダサい、との気持ちはいまも変わっていません。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

オーケストラによる『First Love』。

感涙注意だそうです。

 


www.youtube.com

 

エリクサーのブロンズ弦が良く鳴ってとても気分がよろしい。

日曜日。

休日。

昨日リペアから返ってきたヤマハのアコギは一晩経ってバズりが半端ないレベルになってしまいました。

御茶ノ水の楽器店に電話して状況を話すと「ではメーカー保証対応にて」ということに。

ヤマハがメーカーとしてハズレの個体をどうするのかには興味があるし、納期も二週間と短いので「じゃー頼むわ」となり、今日もギターを担いで小田急、中央線を乗り継いで御茶ノ水まで。

この週末はアコギ関係で忙しかったっすな。

日が落ちて夕ご飯が済んでから、ギブソンJ-45の弦を張り替えました。

エリクサーのブロンズ弦が良く鳴ってとても気分がよろしい。

 

あとは特になし。

手短にここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

ザ・マカロンズ・プロジェクト『A Thousand Years』。

クリスティーナ・ペリーというひとのカバーだそうです。

 


www.youtube.com

 

おれの新作『アジアの片隅で・玉山紀行』は巻頭に掲載されていました。

土曜日。

休日。

先週の日曜日にリペアに出したヤマハのアコギを引き取りに御茶ノ水まで出張りました。

いや~、この個体はハズレっすね。

ネックが安定しません。

見た目では順反りしていて、楽器店に持っていくと逆反りしているといわれました。

新品で買って半年ちょっとになりますが、ネック調整はこれが3度目かな。

新品だから安定するまで時間がかかることはありますが、順反りと逆反りが1本のギターに起きているのだから、ハズレ認定をします。

アコギも3本あると、1本がハズレなのは仕方がないっすね。

6弦12フレットの弦高を2ミリにしてもらいましたが、帰宅して調弦すると3弦が微かにバズっています。

ギター用語で「バズる」とはビリツキを意味します。

ビリツキは押弦以外の弦とフレットが触れることから生じます。

半年のうちに3回調整に出してバズるのだから、だましだまし使うしかありませんね。

ネックのアタリorハズレは購入時には判りません。

造った職人さんも、仕込んだネックが反るか否かは判らないだろうし、メーカーの仕入れ担当者も材木商も判らないでせうね。

つまりは賭けのようなもので、負けることは想定しています。

そもそもトラスロッドを仕込んでいること自体「反るかもね」が前提にあるわけだし。

 

別件。

文藝マガジン『文戯』2022秋号が今日発売になりました。

おれの新作『アジアの片隅で・玉山紀行』は巻頭に掲載されていました。

ミスった部分の訂正や「いらない」と判断した説明文を省いているので、投稿時と若干変わっていますが、ミス以外は書いた本人しか気にならないことかもしれません。

またすぐに時が経ち、冬号のためのコンペが始まるのでせう。

書く気満々ですぜ。

消耗はするけれど、年に4回なら行けそうです。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

ジャズギタリスト佐津間純による『Moon River』。

ジャズには分野がいろいろありすぎて、未だに体系的には理解出来ていませんが、スタンダード・ナンバーが涼しげに弾かれてイイ感じっす。

 


www.youtube.com

 

玄関先に現れて小冊子を配るあのひとたちは、基本的には善人で、マインドコントロール的なものが一生解けなければ、それはそれで「幸」のひとつの形であると思います。

金曜日。

週末の作業所はメンバーが多数来所しました。

仕事量も夕方まで絶えず。

帰宅してサッポロ一番の塩とんこつをつくりました。

スライスしたタマネギと豚こまを入れて。

塩とんこつより普通の塩の方が美味しいと気づきましたな。

塩とんこつ、いまいち。

 

昨日の項に、夢スケッチを下敷きにした旧作掌編小説を貼ってみましたが、今夜もむかしに書いた作をワード縦書き、紙本に似たフォントで読み返しているうちに、鈍くさい部分を手直ししたくなり、そうしているうちに22時になりました。

少し前、若い頃に旧統一教会に勧誘された経験を書いた旧作をnoteにアップし、ここで宣伝したら40ちかくのアクセスがありびっくり。

今日読み返したものも、カルトとされる宗教が絡むもので、彼ら規模は大きく総信徒数は2020年の公表値では世界中に870万人もいるのだとか。

玄関先に現れて小冊子を配るあのひとたちは、基本的には善人でマインドコントロール的なものが一生解けなければ、それはそれで「幸」のひとつの形であると思います。

統一教会にしても、一般の信徒は似た状況だと。

村上春樹1Q84』は、両親がカルト漬けで育った孤独な少女が長じて殺し屋になる話ですが、マインドコントロールが一生解けない人たちの「幸」を扱った小説があっても良いと思います。

あるのかな。

おれが知らないだけで。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

ザ・マカロンズ・プロジェクト『ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』。

 


www.youtube.com

 

「クルマを買いに行くはずが」。

木曜日。

今日は書くことが思い浮かんできません。

でも毎日更新を途切れさせたくないので、むかしに書いた掌編小説を直貼りしてお茶を濁します。

内田百閒やひところ読み耽った「奇妙な味の掌編」を意識して書きました。

 

「クルマを買いに行くはずが」

 クルマ雑誌の個人売買の頁で掘り出し物を見つけた。売主に電話をかけてみると、交渉は成立し、私は札束でぶ厚くなった封筒をジーンズの尻のポケットに捻じ込み、売主の住む土地へと向かった。
 列車は品川駅から西に伸びる路線を走っている。四人がけのボックス席を独り占めにし、車内販売で買った焼売弁当を開き、缶ビールのプルトップを引いた。列車が広い河川に架かる鉄橋を渡り暫くすると、車窓には淡い緑の田園風景が広がった。
 中部地方の大都市にある駅でローカル線に乗り換え、ようやく売主の住む町に辿りついた。駅員に売主と約束した地名を訊ねると、ここから最も遠くまで往く路線バスの、終点付近にその場所はあるという。腕時計に目をやると、いつの間にやら約束の時間は迫ってきている。私は苛々しながら駅からの目抜き通り沿いにあるバス停に立った。
 いつまで待っても目的地まで往くバスは来ない。苛々が頂点に達し、眼球の裏側が焦げつきそうになったころ、道をはさんで向かい側の、赤い看板のファーストフードの窓際席で、誰かが私に向かって手を振っているのに気がついた。見覚えのある顔である。目を凝らすと、その男はかつての同級生であった。
 同級生は、全国的に名の通った企業の、この町の支店に勤務している由。取引の場所までクルマで送ってくれるという。とても親密な態度であるが私には彼に親しげにされる覚えなどない。しかしそんなことをいっている場合ではなかった。もう時間がないのだ。
 クルマは市街地を抜け、郊外のバイパスを疾走する。遠くの山並みの稜線には厚い雲が被さっている。彼が運転する隣のシートで、私は会話が途切れぬように話しつづけた。学生時代、いかに彼が優秀で人徳があったか、いかに私がそうでなかったか。話しながら、私は彼の横顔を窺っている。釣人が仕掛けを沈め、海底の様子を探るあの心持ちである。
 ようやく取引場所に辿りつくと、約束の時間はとうに過ぎていた。しかし心配はそれだけはなかった。私はぶ厚い札束と交換するクルマが何であるのか、すっかり忘れてしまっていた。車種も年式もまるで思い出せない。
「俺が分かっているから心配するなよ」
 彼が呟いた。
「心配することは何もない」
 ニヤリ顔を向けたその表情は凶悪なものだった。
「さて、相手が来たぜ。さっさと済ませて高飛びだ」
 高飛び? 私は冷水を浴びたような心持ちになった。
「ポケットから札束をだして、やつが持ってきたブツと交換してこい」
 彼の口調が変った。私は弾かれたようにドアを開け、クルマから降りる。
 仕立ての良いダークスーツを着た痩身の男が、黒いアタッシュケースを目の高さに掲げて立っている。
「おい、ヘンな真似はするなよ」
 男は眉間にしわを寄せたまま、ニヤリと笑っていった。私も予定調和的に頷き、札束を示す。男はアタッシュケースの金具に指を置き、パチンと音をさせ開けた。中には透明なビニールに袋づめされた白い粉。勿論うどん粉ではない。
 私はクルマに戻り、ボスにアタッシュケースを示す。ボスは眼を三角にして頷き、クルマを発進させた。
 クルマは再び田園地帯を往く。いつのまに日が暮れて、西の空と地面の境目あたりが紅を流したように染まっている。遠くのポプラ並木が、茜色をバックにゴジラの背中のような濃いグレーのシルエットを象っている。
 ボスに訊きたいことが山ほどあるはずだが、私は黙って隣のシートに座っていた。クルマはうねった田舎道を延々と走り、いつの間にか、ポプラ並木まで来ていた。ポプラはどこまでもつづく一本道の両脇に規則的な配列で植えられている。どうやらこの道は滑走路であるらしい。傍らに耐用期限がとっくに過ぎたような小さな飛行機が停まっていて、木製のプロペラが弱々しく回っている。
「さて、どうする?」
 ボスが眼を三角にしたまま、私に訊ねる。私は無言のまま頷き、ボスのあとから飛行機に乗りこむ。
 ボスの操縦する飛行機は、轟音とともに翼を揺らしながら滑走路を疾走する。いつの間にか、西の空に月が上がり、星々も瞬き始めていた。ポプラ並木が闇に溶けて、車輪と地面が離れた。
 高飛びの行き先くらいは訊ねるべきなのだろう。しかし私は依然として無言である。
 買うはずだったクルマについては、細部にわたり思い出していたが、飛行機は旋回し、暗い夜空を月と星々の僅かな明かりを頼りに航路をとったのである。 


                          〈了〉


おそらく2003~2004年に書いたもので、当時の遊び場、2ちゃんねる創作文芸板では「眼が三角? 間寛平かよ?」と突っ込まれた記憶があります。

いや~、読み返してみると、単語のチョイスや技法的にも、いまとさほど変わっていないっすね。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

Janis JoplinMercedes-Benz』。

 


www.youtube.com

安易に得た知識は、アタマの中から消えるのが早いことを知っています。

水曜日。

定休日。

冷蔵庫にある食材で朝と昼のご飯を自炊しました。

15時ごろスーパーに行って、パックご飯、タマネギ、ポークソテー用の肉などを買いました。

部屋に戻って、You Tube民俗学を扱った動画を見ているうちに日が落ちました。

グーグル検索で資料的なものはざくざく出てきますが、読むのが面倒くさいっす。

パソコンやスマホは、おれにとってはどこでもドア的に便利で、図書館を所有していたり持ち歩いたりしているようなものだと思っていましたが、いつの間に在るのが当たり前になり、検索してヒットした資料を読むのが面倒になりましたな。

You Tubeの動画は面白く見ましたが、明日になると内容を忘れているかもしれません。

安易に得た知識は、アタマの中から消えるのが早いことを知っています。

 

さて、ここを更新するまで文学系の動画を見ていたら「サルトル」の名が出てきて、現在進行系で理解できずでした。

サルトルは『嘔吐』という作を書いたひと、ということしか知らないし、そんなばっちいタイトルの小説を読む気になれないし、実存なんちゃらはおれの人生に関係ねーし。

こういう反応は、歳若い頃に見たウイスキーのテレビCMで、野坂昭如が白いスーツ姿で「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか~、ニ、ニ、ニーチェサルトルか~♫」と歌っていて、4人のうちでサルトルが最も遠い気がしたからかもしれません。

ソクラテスプラトンニーチェを知っているわけではなく、サルトルが遠いひとだったのでせう。

ソクラテスの妻、は悪妻の代名詞だし、プラトニック・ラブという言葉がまだ死語ではなかった時代だし、ニーチェマツダのクルマ「ルーチェ」に語感が似ていて、父親が乗っていましたな。

「神は死んだ」といったひとであることを知っていたか否かは微妙っすね。

ゆえにサルトルよりは近しい気がしたのでせう。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

上述CMをYou Tubeで探してみました。

西鶴とかシェークスピアも出てきて、これは記憶から抜けていました。

ギョエテ? ゲーテっすかね。w

 


www.youtube.com

 

2ちゃんねるの創作文芸板に良い書き手が多くいた時期は、掲示板と連動する投稿サイトを利用して頻繁に自主コンペが開催され、その全部には付き合いきれませんでしたが、可能な限り参加し、けっこう消耗しましたな。小説を書くこと=消耗、でした。

火曜日。

朝、部屋を出て駅まで歩くと、おや? 涼しいのか? と感じました。

空を見上げると、夏っぽくなかった。

もくもくの入道雲ではなかった。

夏の雲より高い位置に浮いてました。

 

さて、これまではYou Tubeで、音楽系、魚釣り系、を主に見ていましたが、文学・文芸についての動画もあることに気づきました。

これを書き始めるまでそういう動画を見ていたのですが、活字を眼で追うより耳に入ってくる情報を聴く方が楽っすね。

活字を読むのに使うエネルギーは、似た情報を耳で聴くよりずっと大きいのでせうね。

30年くらいまえに、クルマを運転しながら宮沢賢治の詩や童話の朗読カセットテープを聴いていたことがありますが、それ以外に「朗読」を聴いた記憶がないのは、それが受動的な行為で、クルマを運転しながらでも可能な程度の集中力しか要さなかったからでせう。

つまりは上の空だったのでせう。

聴くまえから知っている作でもあったし。

ところで、音楽を聴きながら本を読む、というひとが少なからずいますが、おれの場合、好みの音楽ならそっちに気持ちが向いて活字を目で追うことがおろそかにになるゆえしません。

でも、ここの更新はYou Tubeの音楽を流しながらのことも。

読むより書く方が更にエネルギーが要ると思うのですが、いつの間にそういうふうになっています。

まー、ここで書くことは他愛のないことだからでせうね。

今年は、ほぼ10年ぶりに小説を書いていますが、その際には音楽を聴くことはありません。

おや? 小説の文を書くことが「他愛」あるようなものいいですが、そうではなく、集中力を分散させない工夫をしている、という意味です。

しかし、6月に季刊文芸誌夏号のための「花火」のお題で書き、8月に秋号のために「記念日」のお題で書いたことになり、それは奇妙な体験だった気がします。

2ちゃんねるの創作文芸板に良い書き手が多くいた時期は、掲示板と連動する投稿サイトを利用して頻繁に自主コンペが開催され、その全部には付き合いきれませんでしたが、可能な限り参加し、けっこう消耗しましたな。

小説を書くこと=消耗、でした。

次のコンペまでの時間が短いと、瞬発力のある書き手が有利でしたね。

それは職業作家の属性と被る気がします。

知る限り、純文系の文学賞を受けた者やライトノベルで売れっ子になった者、文芸批評家になった者、つい最近、地方文学賞を受け、雑誌文學界にその作が載った者がいますが、彼らは例外なく多作でボリューミーなものもこなしていました。

 

さて、1000文字に達したようなので、ここまで。

明日も書きます。

 

今夜の1曲。

山本潤子『冷たい雨』。

弾き語っています。

良いストローク感のギター。

 


www.youtube.com