水曜日。
定休日。
はやい時間にがん検診が済み、それは10時前であったから、その脚で、というかチャリでOKストアに。
いろいろ買い込んだが、アーリータイムス999円は、おれの知る限りではとても安い。
他店は1280円とか。
いやー、東京事変は演奏が上手いバンドでびっくり。
ただ、メンバーの芸名がヘン。
「椎名林檎」はスッと入ってきたが、「浮雲」とか「刄田綴色」「H ZETT M」「伊澤一葉」とかは、下手くそな小説家のペンネームのようで、今まで聴かなかった理由のひとつかも。
浮雲の演奏が素晴らしい、と友人がいっていたのでそこを意識して聴きました。
聴くまでは、ジョージ秋山の漫画かよ、と思ったが、ギターはすげー上手いっす。
音感が良く(当たり前だが)、リズム感もとても良いです。(これはJポップさんたちが苦手でおれも苦手)。
東京事変以外にも活動していて、テレキャスターでのカントリー風ギターソロが特に印象に残りました。
そして、しばし考えた。
おれってストライクゾーンが小さいよなーと。
作業所行き帰りの電車内で、原田マハの短編集を読んでいるが、いまはドガのお話。
ドガは、おれのいままでに認識だと、古典的な作風の画家だったが、この小説では印象派の画家として書かれている。
モネとかルノワールとかとは画風がちがうと思っていたのだが。
モネもルノワールも、顔を近づけて観ると、女性の肌など、いろんな色を重ねていたが、おれが観たドガはそういうふうではなかった。
書き手が、登場した当時の印象派たちに無理解だった当時の美術関連の人々を揶揄しているように感じ、あー、おれも似たところがあるなー、と。
それはさておき、東京事変のすごいところは前衛的な音でありながらシーンの真ん中に居続けたこと、的な記事も読んで、おれは「前衛」という語にアレルギーがあるのかなと感じました。
おれの前衛初体験は、ヨーコ・オノ。
以前にも書いた記憶があるが、強烈な体験だったので、これからもずんずん書くかも。
中学生のときにラジオ少年になり、ソロになったビートルたちのシングルレコードをおれも買った。
シングルは400円でしたな。
で、ジョンレノンの『マザー』とか『人々に勇気を』のB面がヨーコ・オノで、ジョン・レノンって、ひでーものを聴かせるのだなーと。
こういうのを前衛というのかなと。
おれは前衛に近づくのをやめようと。
後年、20歳を越えて絵画を美術館で観るようになっても、前衛的な人(当時だとモンドリアンとか)のものは観ようとしなかった。
狭量さは小説の好みもそうかもしれない。
高橋源一郎の『さよなら、ギャングたち』は、あれが好きな人をカルトに入信している人の如く思っていた。
さて、疲れてきた。
ここまで。
明日も書きます。
今日の選曲は、流れ的にヨーコ・オノっすね。
ちょっと探してみます。
あった。
これが前衛音楽初体験で、ずっと尾をひいているわけです。
『オープン・ユア・ボックス』。
聴きながら、田中小実昌『ポロポロ』に想いが行きました。
ただひたすらに「パウロ、パウロ、パウロ、~」と叫びながら祈る人々の話で、ヨーコ・オノの歌唱もそういう類いなのかもしれない。