日曜日。
休日だけど、朝早くに起きて洗濯をした。
不人気物件でそれが可能です。
隣も下も空き部屋だから。
洗濯物は部屋干しだが、昼前から日が射したので、生乾きにはならないでせう。
11時頃に近所のスーパーに行って適当に買い込み、それからいままでずっとYou Tubeを観ている。
何項かまえに古澤剛さんについて書いたけれど、彼の弾き語りパフォーマンスを観続けてこの時間になりました。
ポールのキーで『アイソウハースタンディングゼア』や『キャントバイミーラブ』を歌えるジャパニーズシンガーもたまにはいるのですな。
合間に他の人のパフォーマンスも観たけれど、歌唱と演奏と見栄えの総合力で、おれはこの坊やが圧倒的に優れていると思いました。
あと、ビートルズについても、ちょっと考えた。
あのバンドは、ざっくり分けて、前期と後期で、おれはホワイトアルバムやアビーロードが好きで、その時期はマッカートニー色が濃いから、ポール>ジョン、と考えがちだけど、レノン&マッカートニークレジットの全曲のうち、合作以外ではほぼ同じ数を作曲しているそうで、前期はジョンが引っ張っていたのだなーと今更ながら気づくわけです。
後期はポールが湯水のように曲をつくり、その物量と質の高さに圧倒されたジョンが現代アートに逃げてヨーコ・オノに走ったと思っていたのだが、つまり「物量」の多い者を良しとしているのに、小説を書く者を評価するときは短編や掌編に重きをおき、物量の多い作家はそれだけで「だめ」とか思っているようなところがあり、それは矛盾じゃねーの? と前々から薄々感じていたことが、はっきりしてきた秋の夜長であります。
解散後のポールの曲には意外性がない。
ジョンと一緒にいないことが原因であろう。
というミュージシャンもいます。
ジョン贔屓の有名どころは、メロディづくりは巧いけれど、プラスアルファのサムシングを得たいのせう。
デビッド・ボウイとかスティングとか。
エルトン・ジョンは両方と付き合いがあったようですが。
彼らは、ポールがやってきたことはおれにもできる、と思っているのせうな。
おれはそうは思わないけれど。
ポールの芯はブルースだと思うのだが、彼らにそれはある?
ないでしょ。
まー、プロのミュージシャンにはそれくらいの自負というか、自信は必要なのでせうけれど。
おや?
そういうあれこれは小説家も似たようなものっすね。
ポールが好きで物量の多い小説家を拒むのはなぜでせう?
それは、おれがこれまで書いてきた物量が足りないと、心のどこか思っているからせうな。
「書けよ」といわれて「既に書いたし」という癖を直すのはむずかしいけれど。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。