MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

レノン&マッカートニー考に変化が。

日曜日。

休日だけど、朝早くに起きて洗濯をした。

不人気物件でそれが可能です。

隣も下も空き部屋だから。

洗濯物は部屋干しだが、昼前から日が射したので、生乾きにはならないでせう。

 

11時頃に近所のスーパーに行って適当に買い込み、それからいままでずっとYou Tubeを観ている。

何項かまえに古澤剛さんについて書いたけれど、彼の弾き語りパフォーマンスを観続けてこの時間になりました。

相変わらずギブソン率とビートルズ率が高かった。

ポールのキーで『アイソウハースタンディングゼア』や『キャントバイミーラブ』を歌えるジャパニーズシンガーもたまにはいるのですな。

合間に他の人のパフォーマンスも観たけれど、歌唱と演奏と見栄えの総合力で、おれはこの坊やが圧倒的に優れていると思いました。

あと、ビートルズについても、ちょっと考えた。

あのバンドは、ざっくり分けて、前期と後期で、おれはホワイトアルバムアビーロードが好きで、その時期はマッカートニー色が濃いから、ポール>ジョン、と考えがちだけど、レノン&マッカートニークレジットの全曲のうち、合作以外ではほぼ同じ数を作曲しているそうで、前期はジョンが引っ張っていたのだなーと今更ながら気づくわけです。

後期はポールが湯水のように曲をつくり、その物量と質の高さに圧倒されたジョンが現代アートに逃げてヨーコ・オノに走ったと思っていたのだが、つまり「物量」の多い者を良しとしているのに、小説を書く者を評価するときは短編や掌編に重きをおき、物量の多い作家はそれだけで「だめ」とか思っているようなところがあり、それは矛盾じゃねーの? と前々から薄々感じていたことが、はっきりしてきた秋の夜長であります。

解散後のポールの曲には意外性がない。

ジョンと一緒にいないことが原因であろう。

というミュージシャンもいます。

ジョン贔屓の有名どころは、メロディづくりは巧いけれど、プラスアルファのサムシングを得たいのせう。

デビッド・ボウイとかスティングとか。

エルトン・ジョンは両方と付き合いがあったようですが。

彼らは、ポールがやってきたことはおれにもできる、と思っているのせうな。

おれはそうは思わないけれど。

ポールの芯はブルースだと思うのだが、彼らにそれはある?

ないでしょ。

まー、プロのミュージシャンにはそれくらいの自負というか、自信は必要なのでせうけれど。

おや?

そういうあれこれは小説家も似たようなものっすね。

ポールが好きで物量の多い小説家を拒むのはなぜでせう?

それは、おれがこれまで書いてきた物量が足りないと、心のどこか思っているからせうな。

「書けよ」といわれて「既に書いたし」という癖を直すのはむずかしいけれど。

 

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。