月曜日。
作業所は週はじめ。
仕事量は宣言解除以来減ってきていますが、今日は朝イチから夕方までブツが切れることはありませんでした。
最近顔を見ないメンバーがいて、数日まえ、施設長に「どうしたの?」と訊きました。
「ミーティングのときに」というレスポンスで、今日は月1ミーティングの日。
施設長は「亡くなりました」と。
チャーミングな人柄でみなから愛されていたメンバーでした。
ミーティングが終わり昼食になりましたが、みな無言でコンビニ弁当などを。
おれもむっとりと黙っていましたが、施設長がパソコンで音楽を流しはじめたので、アコギを膝に置いてボロンボロンと弾きました。
午後からの仕事は選挙結果や封切りが近いアレサ・フランクリンをモデルにした映画の話題などを振りながらこなしました。
ハサミを使う類いで集中力が要る仕事でしたが、沈黙がいやで夕方までしゃべっていました。
指を怪我することもなく時間は過ぎました。
いやー、このところ、おれのまわりでバタバタと人が逝っています。
付き合いのあった叔母、40年来の友人、そして上記メンバー。
還暦前後から友人知人が逝きはじめましたな。
10代のころのバンド面子もふたり逝ってしまった。
しかし、喪失感のようなものはココロの表層には上がってきません。
なぜだろう。
人の死で最も辛かったのは母親が逝ったときでした。
それは30年以上まえのこと。
自前のパソコンは40歳を過ぎてからで、オンラインで知り合いオフでも会うようになった者が逝ったときもけっこうやられました。
たぶん、いまはテンションが高い時期なのでせう。
高い低いの繰り返しがおれの人生で、喪失感が表にこない理由はそれしか思い当たりません。
いま、身内が病院のICUにいて、コロナもあり面会不可ですが、おれの暮らしぶりに変化はありません。
朝起きてシャワーを浴び、髭を剃って着替えて作業所にいき、夕方まで仕事をして帰宅します。
変化といえば、居酒屋にいかなくなったことくらい。
先週末にスマホが鳴り、身内の連れ合いが容態を伝えました。
それを受け、出来ることは何もなし、と。
「手術が必要だが、それにに耐える状態にはなくしばらく様子をみる」
ドクターの診立てでは「しばらく」は10日くらいだそうです。
おれは食事もとれているし仕事でミスることもありません。
「10日」と聴き、お酒もいつも通りに飲んでいます。
ネットで身内の病について調べる気にもなりません。
まー、低くなるときに、ドン、と来るのでせうな。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の一曲。
『レット・イット・ビー』だとあまりに芸がないので、あのアルバムから『アクロス・ザ・ユニバース』を。
後期ビートルズで、レノンの佳曲はこれだと思います。