火曜日。
空は青く天高く秋晴れ。
でも気温は夏のまま。
出張掃除の仕事ではがっつり汗をかき、2リットルのペットボトルと汗ふき用タオル、替えのTシャツが重宝しました。
国葬の交通規制、おれの行動範囲では影響がありませんでした。
葬の最中に付近にてデモしても葬が中止になるわけではなし。
要人が多数来日し、行く手間が省けると考えれば、外交的に「税金ガー!」でもないし。
ここで述べたのか否か忘れていますが、物事の推移はシーソーの左右の如しで、右が沈むと左が浮き、左が沈むと右が浮くのが理というもの。
おれが育った時期は、戦争で酷い目に遭った者たちが大人で、彼らはまずは「戦争反対
!」で、それは小学校や中学校で日の丸や国歌斉唱がまるでなかったことが象徴しています。
高校は私立で、卒業式の演壇に国旗があって、国歌斉唱もあって、おや? と感じたのでした。
つまり、育った空気感が左気味で、それが「普通」の状態であると思っていて、後年、年若い者たちと交流する機会を得て、彼らが右寄りに見えて違和感を感じていましたが、おそらく、いつの間にシーソーの右端が上がっていたのでせう。
そう感じて20年が経ちますが、いまも右が上がっている気がします。
おれの世代だと、解りやすい例で大江健三郎。
いまの子は村上春樹、かな。
おや? 大江と春樹で左右の対立的にならないのは、作家を含むジャーナリズム自体が、権力を監視する位置にいる、ということでせうか。
おれが育った時期の流行作家は、闇市の野坂昭如、デラシネの五木寛之で、作品の行間に負け戦にした政治嫌悪が滲んでいました。
いまもむかしも、ジャーナリストは屁たれ、的なことはいわれていて、それは即ち、彼らは「監視」することを期待されているのでせうな。
さて、今日は5000人と踏んで、久しぶりに行きつけの居酒屋に寄りました。
5000+αでしたな。
大将の姿が見えないので「どーしたの?」と。
腰がわるくて休んでいるのだとか。
20年以上通っているお店で、大将もお爺になったのでせう。
彼の包丁ではない刺盛りは有り難みが薄かった。
秋刀魚もお品書きにありませんでした。
ここまで。
明日も書きます。
今夜の1曲。
中島みゆき『時代』。
90年代後期に東京国際フォーラムの建設現場で、おれは酷い目に遭っていましたな。
みゆき、おれを癒したもうれ。