木曜日。
作業所は午後から出張小冊子梱包の仕事。
いつもと違って椅子に座りっぱなしで手指を動かすだけではありません。
この仕事をすると、5割の確率でふくらはぎが攣ります。
軽い攣りならば動いているうちに治りますが、がっつり攣ると椅子に座って5分程度休まなければなりません。
今日は攣らなかった。
おそらく気が張っていたのでせう。
明日も午前中に出張掃除仕事の当番で、こっちも座っているだけではないので余力を残したかったのですが、仕事が始まるとテンションが上り、全力で動きました。
終わって現地解散になりましたが、
「明日もあるぞ!」
とこの時間になってもテンションが下がりません。
マーチンの5フレットにカポを付けて『michelle』を弾いてみたり、You Tubeのアコギ販売業者のデモ動画を見て心をしずめようとしましたが、今夜はちょっと高いっすね。
精神疾患の症状は人によってまちまちで、おれの場合はハイテンションとその逆の繰り返しで疲れ果てることが多いです。
ハイテンションだと井の頭公園でアコギの路上パフームなども可能でした。
ローのときに小説のようなものを書いていたのでした。
ハイとローは短いスパンでも替わりますが、ハイが数年続きローで次の数年を過ごす、ということの連続がすなわちおれの人生といってよく、精神科の医者に診てもらうずっと以前から、おそらく幼児のころからのことでせう。
4~5歳児が街を走る全てのクルマのメーカー、車種を記憶していたのでした。
外国車も全て把握していました。
最近になって「発達障害」という語をよく見聞きするようになりましたが、おれはそういう者なのかもしれません。
おれの母親は金勘定の出来ない者で、お金が足りなくなると消費者金融やもっとやばい筋から金を借り、どうにもならなくなると住んでいいる家を売り、そのときに動く金で借金を返しながら引っ越すことを繰り返していました。
高度成長時はそれでやっていけたのですが、おれが十代の中頃からは、住んでいる不動産を売ってそこより郊外に移住しても借金が膨らむばかりだったようです。
母親が逝ったときは、千葉県八千代市に住んでいて、こういうことをいうのもあれですが、この世の果てのような処に住んでいる気がしました。
路線バスやタクシー運転手の態度のわるさが強く印象に残っています。
小田急バスやイースタン交通とは雲泥の差で、「民度」というものは在ると思い知りました。
そういうことの繰り返しのなかで、犬や猫が常にいる家庭でした。
新宿の西口に、ペットの殺処分をなくそう、と謳う人たちが募金活動をしていることがありますが、あそこを通る度に去来してくる犬や猫が。
そのほか、子供の時分には理解出来なかった現象が多々あり、記憶をたどると、おれは疲れ果ててることの多い少年時代を過ごしたようです。
おれの気質は母親からの遺伝でせう。
そういう母親に家のことを任せ、仕事にかまけていた父親は平凡で器の小さい男なのでせう。
バブル時に勤め先で専務だか常務だかになって威張っていました。
母親が癌になり、借金は母方祖母が全て精算したにもかかわらず、
「おれは業界で最高の営業マン」
「おれはサラリーマンでありながら確定申告」
などと酒が入ると自慢していました。
色川武大に傾いたのは、あの作家の描く父と子の関係やひとり博打あそびなど、とても他人ごとだとは思えなかったからです。
おれの場合は「母子」関係でしたけれど。
さて、書いているうちに心が静まってきました。
眠剤は既に服用済みで、あとは選曲してUPさせて眠るだけです。
ここまで。
明日も書きます。
あと、いま思いついたのですが、最新の文戯というインディーズ文芸誌のコンペお題は「感染」で、母から子に感染、という流れで今日に記したようなことをネタにして1作捻りだせるような気がしてきました。
要項をチェックしてみます。
今夜の1曲。
歌いだしの「疲れ果ていることは、誰にもかくせはしないだろう ♫」
おれの15の夜はこんなふうでした。