MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

深沢七郎『楢山節考』はみんながみんな褒めるのに、おまえらが『へんろう宿』に無関心なのはなぜ?

土曜日。

休日。

といっても、もうずっと「午前中にスーパーに行って、あとは部屋にこもった」のようなことしか書いていません。

今日も似たようなものでした。

明日も似たようなものになるでせう。

 

さて、昨日は井伏鱒二が訳した漢詩の一節について書いた。

 

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ つがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

 

これの3行目について、Twitterのフォロワーさんからヒントをもらい、長年の疑問が晴れました。

「強風で花が散る」とすると、この4行はすっと心に入ってきますな。

20年まえ、初めて小説のようなものを書くにあたり、井伏の『屋根の上のサワン』を意識して書き、タイトルが思い浮かばなかったので「サワン」の3文字をそのま使いました。

井伏は『黒い雨』の著者だから、読者は世界中にいて、上述作も『へんろう宿』もいろんな国で読まれている、ということはアタマでは理解するのですが、感覚的にはちょっと。

ところで、深沢七郎楢山節考』はみんながみんな褒めるのに、おまえらが『へんろう宿』に無関心なのはなぜ?

とむかしからの疑問を今日も記してみよう。

文芸における「技術」とは、すなわち『へんろう宿』のことだとおれは思うわけです。

 

ところで、Facebookのアカウントが停止されたと通知が来て、うるせーな、入りたくて入ったっわけじゃねーからそれでいいよ、と放置していましたが、つい最近亡くなった友人の関係で、やはりアカウントはあった方がいいと思い直し、審査、を受けたらすぐに復活しました。

某所で本名は既に割れているので、そっちで。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

今夜は『ジョージア・オン・マイ・マインド』の良いインストを見つけたので、それを貼ります。

レイ・チャールズ作で、米ジョージア州の州歌でもありますぜ。

 


www.youtube.com

 

しくじりました。

ねんのためググったら、作者はレイ・チャールズではありませんでした。