MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

小林亜星逝去から連想してみました。

月曜日。

週始めで作業所通い。

変わったことは特になし。

 

夕方に帰宅して、小林亜星の訃報をネットで知った。

十代の中頃に『寺内貫太郎一家』のあのデブ親父を毎週観ていた。

役者であり『北の宿』の作曲者でKOの医学部で、当時のおれは、才能の独り占めはやめてくれよ、と思っていた。

小椋佳にも似た独り占め感に対して。

『~一家』の脚本は向田邦子で、小説を書いても直木賞を得た。

そういう系統を、おれは苦々しいと思っていた。

当時は読むだけで、小説を書く、ということをよく知らなかったが、阿久悠とかなかにし礼とか、なんだか煩い気がした。

いま思うと、当時の直木賞は功を遂げた者が尚も欲しがるステイタスがあったのでせう。

しかし、向田邦子の短編集を読んで、なんちゃって直木賞とは一線を画す人だと思った。

特に『かわうそ』がすごいと感じたが、どんな話だったかはうる覚えである。

あの人は台湾で飛行機事故に遭って逝ってしまった。

ときが経て、ツアコンになったおれは、台北花蓮の飛行機に何度も乗った。

あの人が乗って墜ちた路線であることは知っていて怖かったが、仕事だから仕方がない。

花蓮に着いて、ツアーバスで車窓にバナナ畑を見ながら山道に入る。

山梨の昇仙峡とよく似た景観になり、山のてっぺんにある食堂でお昼ごはんをいただく。

中華レストランとはいい難く、あれはいま思い出しても「山の上の食堂」でしたな。

メニューは憶えていないが美味しかった。

台湾は何処に行っても食い物を心配することはなかった。

似た頻度で香港にも行ったが、あっちのツーリストメニューは酷く、お客が怒らないかいつも心配でしたな。

アバディーンの水上レストランが特にひどく、問題がなさそうなお客のときは、別フロアの現地旅行業業者がまかない的なもの食べる部屋に入り、そっちで食べていました。

友人に香港通がいて、個人手配で水上レストランに行くと、とても美味しいそうです。

あのころに香港は返還され、いまは大変なようですね。

 

ここまで。

明日も書きます。

 

ストーンズの最も新しいアルバムを聴きながらここまで書きました。

高校生の頃は、ストーンズとフーの区別が曖昧でした。

で、今夜はザ・フーを。

ちょっと長めの動画『無法の世界』。

 


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