金曜日。
今日もきっちり仕事をした。
週末だが新宿に行けるわけでなし。
花園神社正門脇の24時間営業居酒屋は無事だろうか。
昨年2月くらいから新宿には行っていない。
おれは休日でもはやくに起きるので、10時頃あの店のカウンターでホッピーを飲んでいたのが、既に遠い思い出になりつつある。
10時だと、歌舞伎町界隈の夜勤あけのおにーさんやおねーさんたちがプチ宴会状態で、歌舞伎町が槍玉に上がったニュースを見て、彼らが客筋だったあの店を案じたが、おれに出来ることはないしなーと。
さて、昨日の項で、酒が減った、と書いたが、今日も酒量は少ない。
文字にすると、うすぼんやり感じてたことがはっきりすることは多い。
おれの場合。
早寝早起きと、なにはともあれ毎日欠かさずここを更新することで、捨てるものと維持するものがはっきりして、以前より調子が良い。
以前とは10年まえです。
それより遡って、20年くらいまえに自前のパソコンが部屋に来て、ネット徘徊するうち、誰でも投稿できる小説投稿サイトに行き着き、おずおずと書いてUPしてみたら意外と褒めてくれるひともいて、「文字化」はそれが最初でしたな。
学校の作文はいやいや書いていたから、積極的なものではなかったし。
でも練馬区の小学生だったころに「練馬の子ら」という文集に国語の時間に書かされた文が載ったことがあった。
自分以外に読ます工夫はガキのころからしていたのかも。
ところで、いまでも、プロアマとわず読んでいて修辞がうざいと感じることは多い。
小説の文は、大別して谷崎派と志賀派に分かれるように思う。
自分で気がついたのか、だれかがそう書いていて頷いたのかは忘れているが、分かりやすい分け方だとは思う。
レトリックをガンガン繰り出すか最小限に抑えるか。
投稿サイトで読んだものはガンガンが多く、その多くは書いている者しか気持ちよくないと思われるものでした。
多くの谷崎的バッタモンのなかに置かれたおれの作は「淡い」とか「描写部不足」とか評され、当初は、そーか、描写か、と思ったものだが、いま読み返すと、形容詞が腐りかけているような文ではないだろ、抑制が効いているからだろ、と思うわけです。
ここまで。
明日も書きます。
さて、いま聴こえているのは、ロッド・スチュワート『マギー・メイ』。
白人でブルースやR&Bを目指した者は多くいたのだろうが、いまも多いのだろうが、13歳のときに聴いたロッド・スチュワートは、BS&Tのデビッド・クレイントン・トーマスといい勝負だったと思ったものです。
後年、柳ジョージを聴いて、似たことを思いました。
下に柳ジョージを。