土曜日。
作業所は午後から映画上映会。
スタッフが自前でPCに入れているアプリでいろんな映画が観れるらしい。
おれは『LET IT BE』が観たかったのだが、ビートルズ関連は版権のようなものでがっちりガードされているようで、アプリでは観れないらしい。
プロジェクターが映すモノクロ映像に「え? そんなに古い映画なの?」的な声が複数上がり、昭和59年に撮影されたものだからモノクロは演出、とおれは教えてあげました。
『麻雀放浪記2020』もあるよ、といったメンバーもいましたな。
それは初耳で、ググったらタイムスリップものであるらしい。
坊や哲が2020に現れてネット麻雀するんだって。
そんなの観たくねー。
それはさておき、封切り当時、既に原作を読んでいたおれは、今更感がありました。
「遅いだろ!」と思ったのです。
監督は料理愛好家でシャンソン歌手でもある平野レミさんの旦那さん。
和田誠と知って「へー」と。
当時、山藤章二のエグい作風の対極に和田誠がいて、植物質な似顔絵やイラストを描いていましたな。
あのひとが麻雀放浪記を撮るのか。
じゃー観てみようと。
シアターに行ったのかレンタルビデオで観たかのは忘れている。
役者は真田広之、鹿賀丈史、高品格、加賀まりこ、大竹しのぶ他。
坊や哲、ドサ健、女衒の達、出目徳、上州虎。
作中人物の名前を記憶していることにびっくりしました。
映画は出目徳が九蓮宝燈を自摸りながらヒロポンだか覚醒剤だかの発作を起こして逝き、残った3人が出目徳の亡骸に敬意を込めた言葉をかけ、勝負師としての盛りを過ぎていると自覚している上州虎がまた欲を出してカモにされそうなところで終わる。
でも、原作はそこで終わらない。
坊や哲が大阪に遠征し、ブー麻雀で痛い目に遭ったり、最終巻は大阪の者たちと坊や哲やドサ健が対決する展開。
すなわち東西対抗的になり、お約束的感が漂うが、文句をいう気になれなかったっすな。
あの小説は週刊誌の連載で、映画のように終わらなかったのは、人気が出すぎたせいでせう。
編集者が頑張ってそうさせなかったのせう。
ジャンプのドラゴンボールがいつまでも終わらなかったことと、事情は似ている気がします。
それにしても、作者はあれを書き、本名の色川武大名義でも凄いものをいくつも遺し、60歳で逝ってしまった。
おれは太宰治の読者をコケにするが、まー、いまでもそういう自己設定を変えずにいますが、色川武大/阿佐田哲也への盲目的な傾倒は、太宰治信者と似ていることは自覚しています。
ところで、柳美里のエッセイを読んでいて「会いたい作家は太宰治と色川武大。このふたりはそっくり」と記されていて、えー? と思ったが、おれは出始めの頃の柳美里の読者でしたな。
さて、帰りの電車内にて麻雀放浪記についてスマホ検索し、いろんな記事を読むうち、降りる駅が過ぎました。
そういう経験は白石昇『ワニポク・パネージョン ― タイ国77県路上ライブツアー 』以来です。
ここまで。
明日も書きます。
上記と何の脈絡もなく、エラ・フィッツジェラルド『MISTY』が聴きたいので、さがしてみます。
あった。
以下に。