水曜日。
定休日。
午前中と夕方、2回スーパーに行きました。
それ以外は部屋にこもりました。
もう半年以上、休日はこんな感じです。
夕方にスーパーから戻ると、汗ばんでいてエアコンを除湿で。
明日は雨らしいから、湿度が上がったのかもしれません。
40年くらいまえに、外資損保のセールスの仕事をしたが、勤勉であったのは入社2年くらいまでで、以降はサボった。
図書館や美術館で時間をつぶし、千葉支店所属で、動くのはクルマであったから、市原方面にまで行き、スーツ姿で防波堤に立ちロッドを振った。
今日は、夕方から、どういうふうにそうなったか忘れたけれど、同和問題について検索していて、懐かしい名前がでてきた。
八切止夫という人で、当時の千葉県立図書館で、この人の著作を読み耽ったことを思い出した。
歴史家というか民俗学研究者というか、そういう人でした。
司馬遼太郎存命のころで、
「私は司馬遼から忌み嫌われている」
と書いていて、そうか、要するに裏事情を書いてしまう人なのかなと。
漂白の民サンカについてや被差別部落がどういうふうに成立したかを書いていて、そのへんは頷ける部分もあったけれど、上杉謙信は女だったとも書いていて、トンデモ系の学者なのかな、と認識していました。
同時期に柳田国男や南方熊楠や宮本常一も読んでいて、五木寛之『風の王国』もそのころに読みましたな。
同和問題は、学生時代のバイト先の先輩から聞いて、寝耳に水でびっくりして、図書館に行ったらその件はイニシャル表記ばかりで、えー? 国家的に隠してる? と二度びっくりでしたな。
その先輩は、早大生のころに学生運動をやりすぎて、表街道を歩けなくなり、中小の建築関係に隠れていたようで、2トントラックを運転しながら助手席に座るおれに、社会情勢その他を熱く語りました。
そのなかに同和問題もあり、学校で同和教育を受けたことがないおれは、
「それは東京だとどこ?」
と訊きましたが、
「自分で調べろ」
と返されてしまいました。
で、図書館でそういう関係を調べるうちに、八切止夫の著作にも行き着いたのでした。
当時は、三角寛のサンカ学は怪しい、とされていましたが、いまはあれは創作で正しくサンカを伝えていない、とされてるようですね。
ずっと後年、JR駅ビルに隣接するショッピングモールの惣菜屋で働いていたとき、千葉の佐倉から通ってくるパートのオバちゃんがいて、あのへんは水が豊かで、サンカもいたのかなと思い、その話をちょっと振ると、
「むかしは川筋にいた。おねーさんたちがキレイだった」
といっていました。
佐倉には城址公園もあり、そういうむかしから栄えていることろに被差別地は多く、ちょこっと話すと、
「川筋の人と被差別の人は一蓮托生だった」
といっていたから、八切止夫の書いたことがすべてトンデモであるわけではないと思ったことを覚えています。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。