土曜日。
連休3日目。
また本が届いた。
重松清『ステップ』のハードカバー。
昨日は馳星周『少年と犬』が来た。
共通するのは直木賞作家であること。
春先に、恩田陸『蜜蜂と遠雷』を上記2冊を送ってくれた者からもらったから、ここ最近の読書はエンタメ系が多い。
これまで、どちらかといえば、純文系の作品を読むことが多かったからか、『蜜蜂と遠雷』は、文の修辞が少しくどいように思った。
展開も、もっとコンパクトにできるように感じた。
まー、純分とエンタメの区分けは日本固有のもので、そこに縛られて本読むのは変である、との意見もあるけれど、おれがそんなことを意識するようになる前から芥川賞と直木賞はあって「小説には純文とエンタメがあるんだな」と刷り込まれたしね。
読んで良いなあと思った作家は純文系の書き手でしたな。
吉行淳之介や色川武大が現役だったころで、色川武大は、ホントなら阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』で他をぶっちって直木賞でよかったと多くの人が思っていて、『離婚』で直木賞を受賞して、今更感がありましたな。
『怪しい来客簿』『生家へ』『百』や『狂人日記』は純文系で、ゾクゾクしながら読んだものです。
池波正太郎や藤沢周平なども愛読したけれど、面白く読んでも時間が経つと内容を忘れてしまうことが多かったっすな。
エンタメだからかな? とか当時は思ったけれど、藤沢周平は再読する価値があり、純文エンタメ問わず、オールタイムで最高の作家かもしれない、といまは思います。
さて、ここまでドメスティックな話になってますが、外国文学は訳者がちがうと全然テイストが違ってくるので、好き嫌いを語るが難しいっすな。
おれにとってはカフカとかチェーホフとかがそうで、以前にも書いた覚えがあるが、タイトルが『犬を連れた貴婦人』と『犬を連れた奥さん』とでは、イメージがまったくちがうと思いませんか?
タイトルは内容を読む前に知るので、大切だと思う。
貴婦人と奥さんじゃ全然ちがうじゃん。
ではでは。
今日はここまで。
明日も書きます。