MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

保守的な業界で苦労したことなど。

昨夜「下書き」に入れたら、出し方が分からず、UPできなかったで分を、1日ずれるけど、晒します。
いま、朝の5時を少し過ぎた時間です。

木曜日。
今日も外出はスーパーだけ。
寒くて起きてすぐに暖房をいれた。
フィルターを掃除したエアコンは効きがよろしい。
22度設定で暑いくらい。
明日は作業所に通所する。
一週間ぶりで、明日も請けおいの掃除の仕事をする。
マスクをしながら身体を動かすと、息があがる。
先週はそうであった。
体重増もあるかもしれないが。

いま、考えているのは、明日、掃除の仕事が終わったら早退して居酒屋に行くこと。
新宿へは、まだ行く気が起きないが、近場に良い居酒屋があり、昼から20時までは営業しているようです。
テレビのニュースで25日に緊急事態宣言が解かれそうなことをいっていたが、もう経済をまわさないとヤバいからだろう。

旅行業界は、飛行機もホテルも旅行代理店もダメージがでかいのだろうな。
おれがツアコンを辞めたのは、湾岸戦争とバブル景気のパンクがほぼ一緒で、日当制の雇用だったおれは中小の建築関係に父親のコネでもぐりこんだ。
中小企業であったが、商いはでかかった。
スーパーゼネコンの第一下請けで、「丸投げ」で上前をはねる会社であった。
それで、理系とまるで関係ないおれも入社できたのである。
仕事は現場のお守りというか人質というか、上前をはねる会社だから、おいしいのはゼネコンの偉い方の監督だけで、下請けの一番下は町工場だったからか、まともな製品が現場に搬入されることは稀で、ガラクタが来る度に偉くない監督や職人から文句をいわれるのだが、おれは図面が読めなかったから、応対のしようがなく、ただ謝っていた。
偉くない監督は偉い監督がおれのところから賄賂をもらってることを知っているし、うちが丸投げしてることも知っているから、まー、ガラクタが搬入されると上司がもらう賄賂も、おれに文句をいうときの燃料になるようなことはあったと思う。
ところで、でかい建築の企画は、バブル時になされたから、多少の縮小はあったが、世間が「はじけてやばい」頃でも、仕事はあった。
でも、それが長く続くことはないら、丸投げから段々そうでない仕事も請け負うようになり、そうなると、図面が読めないおれは、社内立場的によくないことになり、現場人質体験やそんなこんなで神経/精神を病み、その会社は辞めて、しばらく休養してから亀戸駅に隣接するショッピングモール地下街の惣菜屋でコロッケを揚げるようになった。
この時期のことを思い出すと、いまも萎えるので、そうしないようにしているが、そうもいかず、萎えはいまでも抗うつ薬眠剤がないと収まらない。
その後、上記建築系の会社に再雇用されるのだが、現場のお守りではなく、総務の仕事をした。
まー、保守的な業界で、上下関係は体育会のようで、いま考えると、そこが嫌だったですな。
ツアコン時は上司はいたが、飛行機が成田から離陸すれば、復路着陸するまでは、個人の裁量でことが運ぶので、うざい先輩とか上司とかに悩むようなことはなかった。
あの仕事の一番良いといころはそこでしたな。

ではでは。
ここまで。
明日も書きます。