水曜日。
いつもは休日だが、今日は作業所に通所した。
年度の始まりで、新しいプログラムについて、スタッフがプレゼンするというから。
プレゼンは、こんな時だから音楽をやろう、というものであった。
いままで弾かなかった楽器にも挑戦して欲しい、みたいなことをいったが、おれがそうするとなると、ベースかキーボードになる。
ベースは、ギターを弾く者であれば弾けるから、チャレンジにならない。
鍵盤は、キーがC とかAmであれば、左手でコードを弾き、右手でメロディを弾くくらいはできそう。
というか、40年くらいまえに、カシオの10000円で買ったキーボードでそれはできた。
ユーミンの『翳りゆく部屋』とか、Cのキーで弾いて、嬉しかった。
サザンの『私はピアノ』とかも弾いた。
『私はピアノ』は、桑田佳祐の抜きん出た才が溢れている楽曲だと思う。
左の耳に障害があるおれは、音楽の聞き始めは洋楽で、歌詞は英語だから、断片的に単語を聴き取れるだけであったが、吉田拓郎以降、日本語で歌われる曲も聴くようになった。
でも、歌詞が聴き取れないことが多かった。
米滞在時、学生寮のロビーのアップライトピアノで、『私はピアノ』を弾いたら、素晴らしいメロディ、とかアメリカの学生たちはいった。
さておき、歌詞が最も聴こえたのは、忌野清志郎であった。
『トランジスタラジオ』は、ドラムスもエレキベースも加わって、RCがまっとうなロックバンドになってから曲で、おれは渡米直前の、深夜赤帽バイトのころに運転しながらカーラジオで聴いた。
歌詞が心に突き刺さったが、あのころは、人気があるバンドはFMでスタジオライブとかしていて、サザンなどは、ただでさえ何をいっているにか分からなく、スタジオライブだと、もっと分からなかったが、清志郎の歌唱は、耳がわるいおれにも、歌詞が聴き取れた。
いまでも、RCのライブをyou tubeで観ることがあるが、清志郎の歌詞はビンビン耳に入ってくる。
音程を外さないとか、リズムに乗ってるとかの歌い手は、他にもたくさんいるが、聴いて、聴きながら歌詞が入ってくる歌い手は、多くない。
清志郎は、例外な歌い手でありました。
ではでは。
ここまで。
明日も書きます。