土曜日。
旗日で作業所は閉所。
日曜月曜が休みだから3連休。
むかし、営利企業でシゴカれていたころは、3.連休は嬉しかったが、いまは大して嬉しくない。
いま、思い出すと、いろんな仕事をしたが、まー、全部営利企業ではあった。
ツアコンから中小建築関係に移籍したのがいけませんでしたな。
ツアコンは、組織上は上司がいたが、成田から飛行機が離陸すれば、ほとんどすべてが個人の裁量で物事が進んだけれど、建築業界は保守的で体質が古く、上司や年長者のいうことは絶対的で、理不尽な思いをすることが多い日々でしたな。
まー、建築図面を見ても理解できなくて、理解しようとも思わなかったしね。
中小でも商いはでかく待遇も良かった。
下請けに丸投げする会社で、あの業界の悪癖だと思うが、贈収賄が蔓延り、ゼネコン監督や設計事務所への贈賄の額にびっくりしたが、それで第一下請けになれて、おれは贈賄先の下っ端や丸投げした会社の職人たちの不満のはけ口であった。
まー、図面が読めない者を現場代理人にすること自体、かなり変な話なのだけれど。
あのころに精神とか神経とかを患いましたな。
神経科とか精神科とかにかかるようになったが、今思えば、子供の頃からちょっと変なガキであった。
どういうふうに変だったかは、ひと言では語れない。
最近、発達障害、という言葉を頻繁に聞いたり読んだりするが、不動産ころがしでいつも失敗していた母親は、発達障害ではなかったかと疑っている。
父親は普通の人で、そういう人にありがちな底の浅さが見えたが、母親に似たおれは、発達障害の症例をネットで読んだりすると、あー、あの時が、と思い出すことが多々ある。
でも、だれだってそういう思いをしてきたのかな、発達障害も一種の流行語なのかな、とも思えるけどね。
まー、母親が転がしていたのは自宅で、引っ越し20回以上は、大げさでなく、東京、埼玉、千葉を転々とし、転校がいやでしたな。
父親の転勤とか、正当な理由で引っ越すのであれば、納得もいったかもしれないが、自宅を転売しての引っ越しが続いたりすれば、それが20回以上であれば、あーまたかよ、とか思ったものですな。
まー、この件は考えてもまとまりがつかないので、今回はここまで。
ではでは。
明日も書きます。