MOJOkunの日記

2019年末にヤフーブログが閉鎖になるのでこちらに引っ越しました。

すてきなギフトが届きました。

金曜日。

今日も慈恵医大病院に通院。

消化器内科。

ここの内科はしょっちゅう医師がかわり、このお医者の顔を初めて見ました。

女医さんで、その前や前の前の者の如く、診察中はパソコンのモニターを見ている時間が8割でした。

診なければならない患者が多いとか、おれが大した病ではないとかの理由だと思うから、まーいいのだが、次回は2月で寒そうだから電話診療にしてもらおう。

どうせ過敏性腸症候群の薬と下痢止めをだしてもらうだけだし。

 

さて、友人からすてきなギフトが届いた。

エリック・クラプトン/クロス・ロード・ギター・フェスティバル2019。

出演は、ビリー・ギボンズボニー・レイットバディ・ガイデレク・トラックス、スーザン・テデスキ、ドイル・ブラムホールII、ゲイリー・クラーク Jr.、ジェフ・ベックジョー・ウォルシュ、ヴィンス・ギル、ロス・ロボスピーター・フランプトンシェリル・クロウ他。

クロス・ロード・ギター・フェスティバルは、薬物やアルコール依存の者のための施設の建設、運営のため、クラプトンが20世紀の末に始めたチャリティコンサートで、以降、定期的に行われてきました。

人選や出演交渉はクラプトンがやるらしいが、ジャズ系やカントリー系の弾き手もオンステージする。

上記にアルバート・リーの名がないが、今回、この人も出ている。

アルバート・リーはカントリー系に括られるようだが、クラプトンの来日コンサート2枚組ライブ・アルバム(当時はレコードでした)『ジャスト・ワン・ナイト』で、サポートギタリストを務めていて、成人して間もないころのおれはその弾きっぷりに感心したのでした。

いま思うと、聴き慣れたブルース系ではなく、カントリータッチのフレーズに反応したのでせう。

デレク・トラックスも出ていて、このひとは現代最高のブルース系ギタリストのひとりだと思うから、観るのが楽しみ。

 

さて、眠剤タイムになりました。

今日はここまで。

明日も書きます。

 

 

 

朝の6時40分に部屋を出ました。

木曜日。

月一精神科通院日。

電話診療でも可であったが、年末までに障害者手帳や自立支援なんちゃらを更新しなければならず、先月の通院日に持っていった診断書をピックアップするために通院した。

おれは「待つ」ということが苦手で、人が多いところも好きでないので、8時半に始まる診察の最初の患者になるために、部屋を6時40分ごろに出て、7時には病院に着いた。

今回も最初の患者になることができたが、朝起きてすぐにシャワーを浴び、あたふたと部屋を出るのはこれからの季節、たいへんになると思う。

明日は3月に1回の消化器内科にかかるので、ふつか続けての通院となるが、予約は10時半だから、今日よりはゆっくりできる。

消化器内科も電話診療可だが、お医者がしょっちゅう替わる病院で、いまの医師になってから2回(つまり半年の間)とも電話診療で済ませていたから、明日はお医者の顔を見に行こうと思っています。

 

さて、通院&院外薬局を済ませ、いつもより20分遅れで作業所に着き、仕事には間に合ったが、その時点でひと仕事終えた気がして、夕方になるといつもより疲れていた。

帰宅途中に市役所に寄って、ピックアップした診断書を提出して障害者手帳と自立支援なんちゃらの更新手続きをするつもりであったが、明日でいいやと駅からまっすぐに帰ってきた。

 

ではでは。

今日はここまで。

明日も書きます。

 

 

 

BBは歌いながら弾くようなことをしません。あと、江川卓についても書いてみました。

水曜日。

定休日。

今日も外出はスーパーだけ。

買ったものを適当に調理し、ウイスキーをロックで。

 

野球はG が風前の灯っす。

ホークスにひとつも勝てずに日本シリーズは終わる展開。

テレビ地上波で野球中継が少なくなってきて、いまはほとんどないから、久しぶりにG を見ても、知っている選手が少ない。

監督の原辰徳はおれと同年で、プロデビューの歳におれはアメリカの学生寮のロビーで彼を見た。

メジャーリーグストライキで、日本のプロ野球をテレビ中継していたでした。

阪神の藤川が今シーズン限りで引退し「火の玉ストレート」が何かと話題に上がっているが、アメリカで観た江川は、先発して9回に150キロ超えで三振を取って完封とかでありました。

他とのモノのちがいを見せつけていましたな。

藤川は1イニング限定であった。

まー、江川と藤川の状況を単純に比較できないことは分かっています。

ともあれ、江川は個人競技のアスリートのようでしたな。

チームの勝ちや自分の勝ち星より打者との勝負を優先していて、きわどい球をボール判定されると次も同じところに投げてまたボール判定だと悔し涙を流していましたな。

当時のテニスプレーヤーにジョン・マッケンローという者がいて、どの試合でも審判に毒ついていて、あー、江川みたいだなーと思ったものです。

江川はちょっと衰えたかなと思っていたらあっさり引退してしまった。

通算勝利数とかは凡庸だが、そういうことには興味が薄いようでした。

 

さて、今日もYou Tubeで音楽系の動画を観まくって1日が過ぎました。

 BBキング1983年のライブ動画が特に良かった。

BBはギターも歌唱も素晴らしいが、ギターを弾きながら歌うことをしない。

12小節を3回しくらい弾いて次の12小節から歌うようなパターンが多い。

歌も、ブルーズマンの歌唱はどこか「なげやり」感がでる場合が多いのだが、BBはコードを弾くようなことはせずにゴスペルシンガーか? と思わせるような気合の入り方である。

動画の途中からストラトで合わしてみたが、ブルースのキーはE やAが多く、理由は開放弦を使えるからだが、BBは歌いたいキーで弾くようです。

FとかB♭でありました。

 

さて、今夜は打田十紀夫氏について書こうと思っていましたが、またの機会になります。

 

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。

 

 

 

 

 

今日も内田さんの話です。

火曜日。

昨日が祝日だったので、今日が週始め。

今日も仕事はとぎれなかった。朝一から夕方までスイスイとこなした。

 

さて、今日のうちださんは、内田勘太郎

憂歌団のギタリストだった人です。

高校時代の後半に、日比谷野音で、デビューしたてかする直前の憂歌団を観た。

数百円を払って、憂歌団の他に新人の頃の山下達郎上田正樹も出ていたから、今考えると貴重な思い出かもしれない。

憂歌団

「ブルースバンド」を邦訳したのだろうが、センスが良いなー、と思いましたな。

それが第一印象。

で、聴いてみると、当時のおれには未知のブルーススタンダードらしきを演奏していました。

木村の歌唱がとても良かった。

ギタリストはアコギでスライドを弾いていた。

オープンD やḠで。

スライドギターなんて、エリック・クラプトンデュアン・オールマンしか弾けないと思っていたから、プチッとカルチャーショックでした。

で、ギタリストの名前が内田勘太郎

え? 勘太郎? 星野じゃなくて?

当時のおれは、勘太郎といえば星野勘太郎で、山本小鉄の相方で、ヤマハ・ブラザースで、たまにセミファイナルが中継されるときに映るのを楽しみにしていました。

 

さて、今日も楽をする。

いつもより酒の量も多いし。

 

いま、内田勘太郎が、毎日10分程度の動画をYou Tubeで配信しています。

トレードマークのCHAKIやマーチンやギブソンのヴィテージを弾きながら。

勘太郎はリラックスしていて、それでもとても上手い。

いまは沖縄在住だそうで、関西弁でないのが不思議。

語尾に「~さー」で、神奈川や東京の者が「~さー」と発音するが如くです。

 

以下に比較的に新しい「勘太郎動画」。

ご堪能あれ。

【GUITAR SINGS】名曲カバー「It’s Been A Long Long Time」「No No Boy」/内田勘太郎本日のギタープレイ106 @極東楽音 - YouTube

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内田百閒著作との出会いについて書いているうちにダレてきました。

月曜日。

勤労感謝の日で休日。

腹下しは治ったようで、お酒を飲んでも問題なしでありました。

「~ありました」と書いたのは、眠剤服用の時間から逆残して、20時くらいまでに飲みを終わらそうと決めているから。

たまにそうでない夜もありますが。

 

さて、昨日の項で書こうとしていた「ウチダさんたち」ですが、まずは内田百閒から行ってみよう。

かつてそういう名の作家がいたことは知っていたが、読んだのは30歳のころでしたかな。

よく憶えていません。

それ以前の実家住まいだったころ、週刊新潮とか文春でもポストでもいいのだが、父親が持ち帰ったそれらを読んだり読まなかったりしていたのですが、新潮の山口瞳『男性自身』というエッセイといかコラムは、いつも楽しみに読んでいました。

色川武大『怪しい来客簿』を絶賛していて、あいつにはかなわない的な論調で、なんだかとても嬉しかった。

「怒りをまっとうに鎮めた」

とか書いていて、へー、と思い、山口著作の『血族』とか『人殺し』とかを読んだら、確かに色川武大の8掛けのような感じを受けたのでした。

山口を潔い書き手だと思ったのです。

そのコラムで、たまに内田百閒の名前もでてきて、最高の読者を持つ作家、とか記してあって、そのことがアタマに残りながら月日は過ぎ、吉行淳之介が逝ったときの『男性自身』は、えー? おれより吉行が好きな者がいるのか、とびっくりするようなものでした。

文庫になってから読み返すと、週一連載の文量で収まるものではなく、そのときに何週か続いたのか、文庫になる際に加筆したのかは憶えていません。

で、話は吉行淳之介に飛ぶのですが、吉行のエッセイにも百閒の名はしばしばでてきて、育った家のすぐ近所に住んでいたが面識はないと記されていました。

吉行は岡山の生まれで、同郷の百閒を意識していたとおれは思います。

百閒『ノラや』に出てくる、いなくなった飼い猫をウオンテッドする手配書のようなものを読んで、「衰えた、読んでいられない」的に評していたが、後年に、あれは誤読で、名文であった、と訂正している。

いつも冷静な吉行には珍しいことで、そこでやっと百閒を読んでみよう、と思ったのですな。

夢をモチーフにしたと思われる幻想的な掌編がとても良かった。

『件』『豹』とか。

他にもたくさんありますが、いまはタイトルがすっと出てきません。

夢ものは、漱石夢十夜』が有名で、おれも愛読したけれど、百閒はもっと不可解で、『夢十夜』の第十夜がもっとぶっ飛んでいるようなものだと思いました。

カフカの短編にも、意味不明に不気味なものがあって、(例えば『流刑地にて』とか)それとも違う。

かすっているとは思いますが。

 

あー、なんだかダレてきた。

すっとばしてインコンクルージョン

百閒→吉行→色川、の線がおれには見えるのであります。

吉行『鞄の中身』、色川だとほぼ全部がそんな味わいでした。

 

さて、集中力が切れました。

内田勘太郎についても書きたかったですが。

今日はここまで。

明日も書きます。

 

 

 

 

 

 

 

お腹を下しました。

日曜日。

今日はお腹の調子がよくありません。

トイレに入る度に水のような便。

拭きすぎて尻の穴がひりひり痛みます。

 

大相撲は貴景勝が決定戦を制して優勝した。

押し相撲はあまり好きではないが、立派な15日間であった。

しかし、照ノ富士の負け方に余裕のようなものを感じました。

年々大型化する力士が、むかしからの規格の土俵から落ちて怪我をするパターンが目立つ。

土俵の高さがいついまの規格になったか知らないが、興行である以上は観客を集めなくてはならず、土俵から落ちる力士を見せること考えた高さであったのだと思う。

そのころの力士が落ちるのは、いまのそれと大きく違う。

今日の照ノ富士は優勝決定戦であっても、怪我を避けるように土俵から降りた。

落ちたのではなくとび降りた。

 

野球の日本シリーズは、ジャイアンツがまるでダメっすな。

いまテレビを観ながらこれを記しているが、4連敗もあると思わせる内容であります。

 

今日は夕方あたりから書くネタを決めていて、それは「うちださん」にまつわることでしたが、またの機会になりそう。

内田百閒。

内田勘太郎

打田十紀夫。

この3人のことを書こうと思っていたのだが、今日はもう面倒くさい。

 

ではでは。

ここまで。

明日も書きます。

 

 

ロン・ウッドはまだ新入り、というタイトルになりました。

土曜日。

世間は今日から3連休だが、コロナ感染が増えて出歩く人は少ないのでしょうな。

それでも欧米と比べると全然ましで、日本人の何かあると皆同じ方向を向く気質が、こん件では上手く作用しているようです。

 

今日も巧いドラマーが来た。

スタジオで、前回はレンタル時間が終わる10分くらいで、百戦錬磨の叩き手にいろいろ質問が集まったが、そのなかで歌の下手だった歌手は誰ですか? 的なことをスタッフのひとりが訊いた。

「おー、あの人か!」

と軽くざわめきが起きたが、今日まで、あの人の最も有名な持ち歌を練習してきて、披露したわけです。

で、その人に叩いてもらいながら演奏すると、すげーでかい音で、PA当番のおれは、ボーカルマイクやギターやキーボードの音量を上げながらの、とぎれとぎれの演奏となりました。

「おまえら、なめんなよ」

ということだとおれは感じましたな。

ドラムス以外が、アコギ2本とキーボードの編成で、巧みな人はバスドラの鳴りがすごかった。

前回と同じく、終了前に軽く質疑応答があったが、おれはまたしても、あれだけバスドラが聴こえるならベースを弾く人がいればいい、とか願望を述べました。

まーいまはコロナ感染が加速しているし、もう少し落ち着いたときに。

と、前回と似たように明確な応えは得られませんでした。

まー、おれの世代だと、貸しスタジオはほぼなかったし、ドラムセットを持っている者も自宅では叩けないから、どのバンドもドラマーは下手くそで、それが当たり前であったのだが、この歳になって、巧いドラマーと演奏する機会を得て「ベースが欲しい!」と強く思いました。

まー、当時の学生軽音サークルだと、ドラムセットはあったかもしれないけれど、そういうところに属する者が叩くのも聴いたことがあったけれど、下手くそでしたな。

サザンオールスターズは、おれより少し上の歳の学生軽音からでてきたバンドだが、ドラムス松田弘のドラミングにビビりましたな。

あの人は別格に上手かった。

サザンのファースト・アルバムを聴いて、ギターが弱いかなと感じました。

フレーズは悪くないけれど、リズム感タメ感がいまいちだと。

あのころであれば、既にそういうことは処理されてエンドユーザーに届くと思っていたから意外でした。

あのギタリストは、いまはメンバーではないようですな。

まー、ストーンズであっても、ギタリストはちょこちょこ代わっていますけどな。

ロン・ウッドは、いまではすっかりストーンズの一員のような顔をしていますが、おれにとっては、まだ新入りさんであります。

 

ではでは。

今日はここまで。

明日も書きます。